【政治】【評伝】トニー・ブレアとは何者だったのか?

このところ、イギリスに関する授業の中でサッチャー元首相について考える機会が多いのは、個人的に、彼女が行っていた政治の根本思想が現在の日本を考えるのにとても役に立つと言うか、知っておかないと、多くのことを見誤ってしまうように考えているからだ。彼女の評価は賛否両論、それぞれの立場によっていろいろではあるが、現代のイギリスだけではなく、世界のあり方についてついて考えるには避けて通ることはできないであろう。個人的には、諸々の点で尊敬するべきところは多いと思うが、やっぱり好きにはなれない。そもそも好きな政治家と言われても、なかなか名前が出てこない。
その例外は、やはりイギリスの元首相であるトニー・ブレア。理由をはっきり説明することはできないのだが、なぜだかずっと好意を抱くことのできる政治家であり続けている。彼は、首相の座を引いた2007年にカトリックに改宗したことでも大いに話題になった。
http://jp.reuters.com/article/2007/12/23/idJPJAPAN-29493020071223
今さらながらであるが、トニー・ブレアが首相へと登りつめていく過程をドラマチックに描いた下記の本を読み直してみると、出版された当時には読み逃していたいくつかのことに気がついた。

決断するイギリス―ニューリーダーの誕生 (文春新書)

決断するイギリス―ニューリーダーの誕生 (文春新書)

「クール・ブリタニア」をキャッチフレーズに、首相としてブレアが登場したとき、彼はなんと44歳であった。当時のアメリカのクリントン大統領も「若さ」が売りであったが、伝統的で古い感じのイギリスの殻を打ち壊すような若々しく颯爽としたイメージが強かったことをよく覚えている。同時に、保守党との違いを打ち出すことで個性を発揮していた労働党のイメージも、彼が出ていたことで大きく変わったように見える。労働党というよりも、保守党と労働党の中間に位置するようなイメージ。それもまた、なんだか「新しく」見えた。結局、アメリカのイラク戦争に巻き込まれるかたちで退陣に追い込まれてしまうのであるが、彼がやってきたことをたどっていくと、それらもまた、サッチャー首相と同様に多くの評価すべき功績もあるように思えてくる。
しかしながら、冷静になってみると、彼が打ち出した「新しいイギリス」というのは、もともとイギリスという国が持ち合わせた大きな特徴であったこともわかってくる。例えば、音楽の分野ではビートルズパンク・ロックを、ファッションではヴィヴィアン・ウェストウッドやオズワルドなど、現代美術ではダミアン・ハーストなどを生み出しており、「伝統的で保守的でありながら同時に斬新で奇抜な」というのは長くイギリスの伝統でもあったことがわかってくる。そうであれば、ブレアが登場したときに唱えた「クール・ブリタニア」というのは、ある意味で、イギリスのあり方のレッテルを貼り替えたものに過ぎないとも言える。結局、ブレアは、自分の売り出し方を含めたイメージ戦略に長けた政治であったことがわかってくる。ただ、これは、どの分野においても重要な資質であるが。
本書を読んで初めて知ったことがいくつかある。彼が決して裕福な家庭の出ではなく、むしろ複雑な背景をかかえていたこと。不勉強のため、フェティス・コレッジという名門校からオックスフォード大学に進学して…という経歴しか知らなかったので意外であった。また、彼が敬虔なクリスチャンであったことは知ってはいたが、どんなに忙しくとも、日曜日の礼拝を欠くことはなかったというエピソードを読むと印象が変わる。敬虔なクリスチャンであるイギリス労働党の党首というのも、矛盾をはらんだものであり、その点でもユニークである。
個人的に、ブレアに好感を抱き続けてきた理由は、彼が「ことば」を大事にする政治家であったこと、そして、バランス感覚を持ち合わせていた政治家であったことではないかと思っていることにあることがわかった。自分の政策を推し進めるために、一刀両断に反対意見を切り捨てることもなく、あるいは姑息な手段でもって出し抜くのでもなく、自分の考えをきちんと説明しようとする姿勢が感じられたことが大きかった。それだけに、退陣前、イラク戦争についてなんとか説明しようとする姿を見ているのが痛々しくもあったのだが。
政治家という存在のあり方について考えていくときに、マーガレット・サッチャートニー・ブレアというのは格好のモデルになるのではないかと改めて考えた。早めに彼の回想録も読んでみたい。