【ブックガイド】&【料理】読書と食事の親密な関係

外国の小説を読んでいるとき、意外に困ってしまうのが登場人物が食事をする場面。食べ物というのは、書いている方も、想定している読者が知らないだろうと思わない限り、作品の中で詳しく説明されることもない。ちょっと考えてみるとすぐに納得できるが、当たり前のことは具体的に描写したりすることはない。例えば、日本の小説家が「目玉焼き」や「カレーライス」といった料理について、特別な意図がある場合を除いては、作品の中でわざわざ説明することはないだろう。なぜなら、日本語でその作品を読んでいる読者はみんな、説明などしなくても、「目玉焼き」も「カレーライス」もどういうものかがわかるからだ。
でも、これが自国以外の料理となると、こうスムーズにはいかなくなってしまう。先の例を引くと、日本の日常的な料理方法に馴染みがない人びとにとっては、「目玉焼き」と聞いたとき、もしかしたら「何かの動物の目玉を使った料理!?」と驚くかもしれないし、「カレーライス」と聞いて、おそらく日本風のカレーライスのことをすぐに連想できる人は少ないだろう。たぶん、多くの人は、インドのカレー料理のことを連想するような気がする。「スシ」とか「テンプラ」など、海外でも有名な日本料理について知っている人たちも、日常的に食されているものについては意外に知らないもの。同じことが日本で暮らす者にとっても言えそうだ。
そんなことを書いている私も次のような経験をした。イギリス小説によく出てくる料理に「〜・プディング」と呼ばれるものがある。例えば、ヨークシャー・プディング。「ヨークシャー」というのはイングランドの地域名ということはわかるが、いまいちどんな料理かわからないので辞書で調べてみると、「プディング(pudding)」は「1 [U][C]*1プディング, プリン;プディング状の物. ▼日本のプリンはふつうcustard pudding. 」(『プログレッシブ英和中辞典』)とある。「プディング」という音から「プリン」を連想しそうだが、どうも日本語いう「プリン」とは違うらしいことはわかるものの、「プディング(状のもの)」といわれても、全くどういうものか想像がつかない。同じ辞書で「ヨークシャー・プディング」を調べてみると、「小麦粉に牛乳・卵黄などを加え, 肉汁をかけて焼いたもの」となっているが、これもいまひとつ具体的には想像できない。こういう場合、どんな料理かわからないまま読み進めても大きな支障はないことが多いのでそのままにしてまうのだが、何となく、釈然としない感じを抱きながら小説の先に進むことになる。
私の場合、初めて訪れたイギリスの食堂のメニューに「ヨークシャー・プディング」を見つけ、どんなものかと思いながら注文して出てきた料理は次のようなものだった(写真はそのときの料理ではなく、次のサイトから。https://www.homemadebyyou.co.uk/recipes/sides/giant-yorkshire-pudding)。

要するに、温野菜や肉などを詰め物のようにいろいろと中に入れ込んだ料理で、パン代わりに食べてしまうもの。ある意味、器の代わりの役を果たしている。実物を目にして、初めてどういうものかわかったという経験がある。
個人的に、この「ヨークシャー・プディング」初体験のことを思い出したのは次の本を読んだから。

ひと皿の小説案内

ひと皿の小説案内

副題「主人公たちが食べた50の食事」にあるように、見開きの右ページに英米を中心とする世界各国の小説に出てくる食べ物を写真を載せ、左ページには食事の場面の引用と簡単な作者・作品紹介がされたもの。読んでいてすぐにわかる料理もあるが、たぶん、「ライス・プディング」や「ターキッシュ・ディライト」など、日本では馴染みのないが、写真で見ることができれば、「あ〜、こんなものか!」とわかりやすい。
読んでいて個人的に食べてみたいと思ったのは、『レベッカ』のクランペット、トースト、スコーンと真っ赤なベリー。それから、『太陽がいっぱい』のスパゲティ。反対に遠慮したいのは、やっぱりオリヴァーくんが食べさせられていたお粥。
小説から離れて、料理の写真集として眺めるだけでもとてもきれいで楽しくなるし、左ページの作品からの引用や下段のコラムなどを読めば、ちょっとしたブックガイドにもなる。お勧め。

*1: