【入門書】イギリス小説をキリスト教とのつながりで考えよう

久しぶりの記事になります。5月末の英文学会が終わり、ほっとしていると、あっという間に時間が経ってしまいました。いやはや、時間の経つのがはやいこと。その間、懐かしい方からの書き込みもあり、インターネットのつながりのすごさを改めて実感しました。ねえ、ゾンネのMくん!(ですよね? 違ってたらすみません。)

キリスト教を背景にもつとされるイギリス文学について学ぶには、キリスト教を理解しないと十分には理解できないというはよく指摘されます。ただ、近親者や親しい友人にキリスト教徒がいるとか、中高をキリスト教系の学校で学ぶ機会があるとか、そんなことでもない限り、なかなか間近に接する機会もないかと思います。ましてや、聖書についても十分に学ぶチャンスもなかなかないでしょう。それに、キリスト教的知識を用いないでイギリスの小説を読むことが重要であるという主張も正しくもあります。特定の枠組みの中に入れ込んで読むことだけが「正しい」わけではないので。現在は、さまざまな読みの可能性が保証されています。

私も、大学だけ、キリスト教系の学校に通い、身近にキリスト教徒の人もいましたが、正直なところ、その当時にはほとんど関心がありませんでした。授業も最低限しか取りませんでしたし、せっかくのチャペル・アワーもほとんど出た記憶がありません。今から考えるともったいない話です。もっと正直に続けると、イギリス文学の勉強の本格的に始めてからも同様で、むしろ、キリスト教の影響についてはできるだけ意識しないで、避けて作品を読み、論文などを書いてきた感じがします。

ところが、一昨年、ゼミでシャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を勉強したのですが、改めて読み直してみると、これはキリスト教や聖書の知識がないと本質的には理解できないだろうということがよくわかりました。それに加えて、この作品と聖書との関連について卒論を書いた学生がいて、遅ればせながら私もその点について少し勉強していったのですが、ますますその思いを強くしました。この学生さんが書いた卒論は、彼女の丁寧な人柄がよく表れたもので、ひとつひとつきちんと論証していったすぐれたものになりました。

そんなこともきっかけになり、先月の英文学会のシンポジウムでジョン・ヘンリー・ニューマンの自伝を担当したことも重なり、このところ、19世紀イギリス社会におけるキリスト教と小説のつながりについて興味を持つようになりました。特に、オックスフォード運動を含め、この時期に盛り上がる宗教論争が小説などの文学作品に与えた影響について関心が高まっています。そうでなくとも、例えば、ディケンズを読むにしても、やっぱりそういう知識は不可欠だと実感しています。

キリスト教とイギリス小説を考えていく上での見方としては、私の中では、ピューリタン的伝統を盛り込んだもの(例えば、先の『ジェイン・エア』)とカトリックへ改宗した作家の手によるもの(例えば、チェスタートンとかグリーンとか)が重要なのではないかと考えています。現在の興味があるのは圧倒的に後者です。

私には十分なキリスト教の知識がないので、今さらですが、その関係のものを本気で読み始めました。まずは日本で書かれたものから読んでいるのですが、探してみると、古いもの、新しいもの、たくさんのすぐれたものがあることがわかりました。時間のかかる作業ですが、地道に勉強していこうと考えています。

ただ、問題は、いきなり核心に触れてる本を読んでも、今ひとつわかりにくいこと。とりあえず、関心はあるんだけど、何を読んだらいいのかわからないという人が、イギリス文学をキリスト教とからめて考えていくための入門書として下記の本を紹介します。

英文学とキリスト教文学 (長崎純心レクチャーズ 第 12回)

英文学とキリスト教文学 (長崎純心レクチャーズ 第 12回)

著者がカトリックの人なので、そちら寄りの話ではありますが、授業をまとめたもので話し言葉にもなっていて、難しい議論も避けられているので、読みやすいのではないかと思います。本書では、イギリス文学におけるカトリックの伝統についての大まかなところを学ぶことができます。本書のあと、参考文献を参考に、他の本を読み進めていくといいのではないでしょうか。でも、こういう本を出版できる大学は素晴らしいですね。