【研究書】イギリス小説の流れを俯瞰することができる

塩谷清人富山太佳夫編著、『イギリス小説の愉しみ』(音羽書房鶴見書店)

イギリス小説の愉しみ

イギリス小説の愉しみ

中央大学名誉教授の深澤俊先生のご退職を記念して編まれたイギリス小説についての論文集。深澤先生のお人柄については、富山先生による興味深い「略年譜」があるので読んでください。東大の「襖張りクラブ」とは???

自分も論文を書かせていただいたので、何だか自慢しているような感じになって申し訳ないが、寄稿者にはイギリス小説の分野の錚々たるメンバーが揃っている。個人的には、ここに入れてもらえ、ただ、ただ、素直にうれしいというのが本音。ただし、それに応えられた論文が書けているのか自信ないのですが…。

どの論文を読んでも刺激的であるが、中でも面白いと思ったのは、京都大学の佐々木徹先生「近代的ディケンズ批評の源流を温(たず)ねて―ミラー、マーカス、リーヴィス」と編者でもある富山先生「バーサ、ヒースクリフ…黒い肌」という二つの論文が並んでいるところ。徹底的に文化研究寄りで文学作品を論じる後者と、そういう点を含めながらも、敢えてテキスト精読にこだわる前者。常日頃から、お二人の書かれるものに大きな刺激を与えてもらっているだけに、それぞれの言わんとすることがはっきりとわかって面白い。時代順に並べただけというものの、この二つの論文の並べ方は絶妙だと思います。それにしても、佐々木論文の冒頭のひと言「作品の外堀を埋めることに専心しているような近頃の文学研究はつまらない」(p. 86)は強烈で、的の中心を射抜いたところがあるだけに、自省することしきり。文学の研究をすることの意義を再確認させられる。

いずれにしても、イギリス小説の流れを再確認することができる論文集であり、同時に「まえがき」にもあるように、「三世紀にわたるイギリス小説史」として読むことができる。

深澤先生の「序章」にも先生のお人柄でよく出ており、批評家のサイードとピアニストのバレンボイムとに言及しながら、二人の企画した音楽活動について触れられる。中東の緊張を政治とは違うところで緩和していこうという試みであるが、先生は、政治レベルから見ると小さなものかもしれないがと断ったうえで、「これは文学や芸術活動の存在に関わる、きわめて意味の深い試みなのだ。小説の存在の意味も、ここに隠されている気がする」(p. 14)と指摘する。これからの文学研究のあり方を示唆する重い言葉である。