【学会情報】日本英語教育英学会30周年記念大会のシンポジウムに出ます

日本英語教育英学会という学会があります。

大会のプログラムを見ると、大学教員や大学院生だけではなく、中高の先生も加わった、英語教育に関する学会のようです。30周年ということで、結構長く活動している学会にも関わらず、不勉強にも、自分が参加することになるまでは知りませんでした。

その学会が、下記の要領で30周年記念大会を開きます。

日 時: 2010年3月27日(土)・28日(日)
場 所: 玉川大学研究管理棟 B104会議室

この大会の中で、28日(日)のシンポジウム「英米文学の人間くささ/政治くささ―英文テクストへの視線」に参加することになりました。後期の授業でも扱った、ジェイムズ・ジョイスの「イヴリン」(下記の短編集に収録されています)という短編を取り上げ、文学テクストのもつ多層性について論じた後、大学の英語教育において「読む」ことを教える意味を再考しようという話をする予定です。

ダブリンの人びと (ちくま文庫)

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私たちの話を含め、英語教育に興味のある人は、ぜひ、のぞいてみてください。学会は恐いところではありませんよ!

長くなりますが、本シンポジウムの概要を以下に貼り付けておきます。

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シンポジウム 3(14:55〜16:55) 大学研究室棟B104会議室

英米文学の人間くささ/政治くささ―英文テクストへの視線―」
鈴木 章能(大阪産業大学)(コ―ディネーター)
江藤 秀一(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
向井 秀忠(フェリス女学院大学
関戸 冬彦(立教大学(兼))

 英語教育学や言語学をご専門とされる多くの先生方の前で英米文学のシンポジウムはどのようなものであるべきかと思案にくれた末、英米文学の話に重心を置きつつ、各パネリストによる多様な文学の読みが、英語を読むことや英語を読むことの教育への多様な視座へつながるような話ができればという考えに至った。とはいえ、多様な読み方を各パネリストが自由に披露するだけではシンポジウムとしてまとまりがない。そこで、本シンポジウムでは、文学を政治的に読むという昨今の文学研究の方法と、従来のヒューマニスティックな読みという二つの枠組みを据え、両者の読みの意味や意義を考えつつ具体的な作品論を展開することで、英文テクストを読むことや英文テクストを読むことの教育について接点をもった議論が展開できればと考えている。
 文学は、稀有な観察眼と言語能力に優れた者が、主に人間のある状況を言葉で再現したテクストである。英米文学の場合、読者は英語を通して、それを解釈していく。テクストに描かれる人間の状況は通常、作者が文学テクストの内部に意識的に描き込んだ時代や社会状況や人間関係などとともに浮かび上がる。一方、作者もある時代の社会状況に影響を受けた存在であると考えるとき、文学テクストにある人間の状況は、作者が無意識的に描き込んだ文学テクストの外部にある時代のポリティクスとともに浮かび上がると捉えられる。つまり、文学における英文テクストを読むこととは、英語を読むことであると同時に、他者や歴史や政治に、そして自己に開かれていく行為であると言える。英文テクストの読みをそのように捉えるとき、英語を読むことの教育とは、英語のスキルの向上であるとともに、読者を「いま・ここ」という閉域から解放することではないだろうか。
 シンポジウムの進行は、まず英米文学研究の現在を説明して文学研究の見取り図を示し、それとあわせて文学を政治的に読む意義を解説した後、18世紀英文学を代表して『英語辞典』で知られるサミュエル・ジョンソンについて、20世紀英文学を代表して『フィネガンズ・ウェイク』等の作品で知られ世界の文学に大きな影響を与えたジェイムス・ジョイスの作品について、政治的な読みが展開される。その後、20世紀米文学を代表して、村上春樹の翻訳や日本の男性化粧品名でもおなじみの『グレート・ギャツビー』について、恋愛に焦点を合わせたヒューマニスティックな読みと政治的な読みが展開される予定である。