【小説】異文化間理解はあり得るのか?

昨年の後期から春休みにかけて、博士課程の院生のひとりに頼まれて、E.M.フォースターの『天使も踏むを恐れるところ』を一緒に読み直す機会があった。作品を丁寧に読んだため、短い割には時間がかかってしまったが、私にとっても有意義な機会となった。と言っても、私の都合もあって、実はまだ読書会としてはこの作品を読み終わってないのだが、一足先に、考えるところを記しておきたい。フォースターの作品はほとんどを翻訳で読むことができるが、この作品は、オースティンのちくま文庫版個人訳全集でお馴染みの中野康司訳があるので、こちらを紹介。

天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

天使も踏むを恐れるところ (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

フォースターの小説はすべて、基本的に、二つの異なる価値観がぶつかり合うことで生じるトラブルを描いているといえる。長編小説の場合、本作品や『眺めのいい部屋』ではイタリアとの、『インドへの道』ではインドとの異文化衝突が描かれているし、『ハワーズ・エンド』も階級差による異文化衝突を描いた作品と読むこともできるであろう。果たして、人間は異文化の壁を越えてわかり合うことができるのか? これは現在の社会においても重要なテーマである。例えば、本当の意味で宗教的価値観の差は乗り越えることができるのか、豊かな者は貧しい者の窮状を真に理解することができるのか。そんな社会問題の根本を考えさせてくれる作品になっている。

『天使も踏むを恐れるところ』は、夫を亡くしたある女性が、娘を夫の実家に預け、イタリア旅行に出かけるところから始まる。イギリスの保守的な価値観に束縛されることを嫌うこの女性は夫の一族から見れば厄介者で、信頼できるお目付役と一緒に自分たちの生活から追い出した、というのが正確なところであった。ところが、旅行先でとんでもないことが起こってしまう。何が起こったのかは読んでもらってのお楽しみとして、この一連の騒動を通して、イギリスとイタリアの価値観の違い、そしてそれを乗り越えてお互いは理解し合えるのか、が語られていく。

作品の主人公は、騒ぎを起こした当人の女性リリアではなく、むしろその後始末に奔走させられる義弟であろう。もともと彼はイギリス的閉鎖性にはうんざりしていて、イタリア的開放性に憧れ、イタリアのよき理解者としての自負を抱いている。そもそも、今回のイタリア旅行を提案したのも彼であった。イタリアの歴史や文化に直に触れれば、彼女の言動も少しはましになるのではないか、というわけ。ところが、今回の事件を通して、彼のイタリア理解が表面的なものにすぎなかったことが暴露されてしまう。また、真面目なだけに見えていた付添役の若い女性が意外な一面を見せたりするなど、人物造形がやや平坦な感じしながらも、人物描写の巧みさには感心させられる。

フォースターがイギリスの(正確には「イングランドの」書くべきか)伝統を受け継いだ小説家であることを感じるのは、決定的に悲劇的であるはずの物語が、実は喜劇的にも読みとれてしまうところ。圧倒的に悲劇的なものは、反対に喜劇的に見えてしまうものであるが、この作品の結末などには、ある意味で、戸惑ってしまう読者も多いのではないだろうか。いったい、どう理解すればいいのであろうか、と。

あるいは、次のような一文に接したときにも、フォースターがイギリスの作家であることが改めて感じられる。

「…たまの休暇がとれないほど忙しくはないので、ほんとうは行こうと思えば行けないことはない。しかし、彼(フィリップ)が頻繁にヨーロッパ大陸へ行くことに家族は反対だし、彼としても、忙しくて町を離れられないと考えるのは悪い気分ではない。」(p. 4)

「おばあちゃんというのは自分の母親ではなく姑のヘリトン夫人のことだが、そのヘリトン夫人は、孫や嫁からおばあちゃんと呼ばれるのが大嫌いだ。」(p. 4)

些細な一面にさらっと言及するだけで、その登場人物の本質を見事に描き出す手法は、オースティンの小説にもよく見られる表現だが、イギリスの小説の真骨頂のひとつと言えるであろう。得意になってイタリアの知識をひけらかすフィリップがどういう人物であるかが想像でき、リリアを苦しめたイギリスのアッパー・ミドルの価値観を体現しているヘリトン夫人の難儀さもすぐにわかる。二人とも決して悪人ではなく、自分たちなりの善意でもって行動し、それがリリアを苦しめてしまっているところがミソ。イギリス小説の面白さは、原文を読めばもっとよくわかるのだが、こういった部分に気づいて楽しめるのかどうかにかかっているのかもしれない。

「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」というのが誰の言葉だった忘れてしまったが、この作品にも、フォースターが後の作品で描き続けるテーマの主要な要素が詰まっている。大陸的な価値観にさらされて苦境に立つものの、良識でもってそれを乗り越えようと努める人物。しかしながら、結末において、真の意味で主人公たちが異文化を理解することができているだろうか。

フォースターの作品の面白さはそれだけではないので、これを機に、少しずつ読み直していきたいと思う。