【紹介本】イギリス小説 vs. フランス小説の結果はいかに?

その京都への行き帰りの新幹線は2時間くらいなので、集中して本を読むにはちょうどよい感じです。その車中で、早速、タイトルを見て気になってすぐに購入しておいた下記の本を読了しました。

英仏文学戦記―もっと愉しむための名作案内

英仏文学戦記―もっと愉しむための名作案内

斎藤兆史先生は、現在の表層的に実践力ばかりを追う英語教育に異を唱え、じっくりと英文を読みこなす力をまずはつけるべきという主張を諸々の著作で展開している頼もしいイギリス小説の文学研究者であり翻訳家。文体論の論文にはいろいろと勉強させてもらっています。野崎歓氏は、スタンダールの『赤と黒』からウェルベックの『素粒子』まで幅広いタイプの作品を翻訳し、『赤ちゃん教育』(講談社文庫)などのエッセイでも有名なフランス文学者。この二人、読書のやり方も対照的で、斎藤先生が「英語の小説は原書で読み、翻訳はあまり読まない」のに対し、野崎氏は「外国の小説は翻訳で読みながら育った」という。圧倒的に後者である私は、「そうだよなあ」と斎藤先生のお言葉に思い入りながらも、心では野崎氏に非常に親近感を覚えた。ともかく、中堅世代の信頼できる小説読みのお二人の対談なので楽しく読んだ。
そんな二人が、イギリスとフランスの小説について、何と一対一のバトル形式で作品を時代順・テーマ別に論じたもの。扱われるのは、オースティン『高慢と偏見』 vs. スタンダール赤と黒』、スコット『アイヴァンフォー』 vs. バルザックゴリオ爺さん』、ディケンズ『デイヴィッド・コパフィールド』 vs. フローベールボヴァリー夫人』、フォースター『ハワーズ・エンド』 vs. ブルトン『ナジャ』、ゴールディング蝿の王』 vs. カミュ『ペスト』、ナイポール『ある放浪者の人生』 vs. ウェルベック素粒子』。なんかワクワクする組み合わせでしょ? もともと対談という形式で書かれた本は嫌いではないのですが、こうして小説を対戦型で語り合うというのはすっかり意表を突かれてしまいました。はっきり勝敗をつけるのは無理なことは初めからわかっているので、最終的には「引き分け」で終わることはわかってはいたものの、それでも十分に面白く読みました。
野崎氏はこの本の目的のひとつに次のように話してます。
「体制が強固なときに反体制がすごく格好よく見えるのは、ある意味では単純といえば単純な話なんだよね。それが社会がいまのような状態になったとき、それでもなおアピールする部分、受けとめる部分がどこにあるのかは、常に考え直していかなければいけないといつも感じています。この対談もそのための機会になればいいと思っているんですよ。」(pp. 11-12)
「本が売れない」「本を読まない」という愚痴はすっかり定着してしるのですが、じゃあ、そういう状況を打開するために、作家は、翻訳家は、出版社は、書店は、そして教員は何ができるのか、何をするべきなのか、それをやっぱり真剣に考えないいけないのだろうと思います。日本はもともと世界でも珍しい翻訳が出版文化として根づいている国で、そういうところからも積極的に海外の文化情報を取り組むことには熱心であったことがわかります。出版不況の昨今でさえ、光文社古典新訳文庫が象徴するように、新訳ブームなるものがあります。せっかく、新しい訳も出たことだし、これを読まずに放ってくのはもったいないと思いませんか? 私は「知らないことはもったいない」をスローガンに、翻訳でいいので、まずは小説を読む面白さを授業などを通して少しでも広めていきたいと考えています。だから、こういう本が出ると本当に嬉しくなります。
内容ですが、英仏の小説を比べることで見えてくるのは、両国の文化やものの考え方の違い。例えば、ディケンズについて話している中で野崎氏の次のような指摘が出てきます。
「ユーモアとペーソスのさじ加減で読ませる小説というのは、フランスには意外と少ないんですよ。ユーモア小説の伝統がそれほどあるわけじゃないし。だからいっそう、ぼくにはディケンズのユーモア作家ぶりが素晴らしいものだと思える。イギリスのある種の伝統なのかと想像するんだけども。そしてペーソスとなると、フランスでは軽蔑をこめた言葉ですからね。『お涙頂戴』の意味ですからね。『ペーソス』はもともとギリシア語の『パトス』ですよね。つまり『感じる』とか、『苦しむ』ということでしょう。ディケンズの本を読むと、そういうペーソス(パトス)というものの大切さを再認識するというか、あ、ペーソスっていいものだな、と思わされるんですよ。」(p. 92)
また、斎藤氏はフォースターについて次のように語っています。
ディケンズとはちょっと違うけども、一種の安心感があるよね。それは作者もそうだし、語り口もそうだし、どっか理性を信じているんだなということが随所から伝わってきてね。皮肉は言うけども、茶化すけども、そこに何かひとつのバランス感覚というか、そういうものに対する信仰を持つ語り手だというのが随所からにじみ出てきている。それが醸し出す安定感なんじゃないかという気がうするね。」(p. 136)
「ユーモア」「ペーソス」「理性」「バランス感覚」「安定感」というのは、確かにイギリス小説について語られるときにはよく用いられる言葉です。それらが再確認できたということでしょうか。ここではイギリス小説についての部分しか挙げていませんが、英仏の小説を読み比べることで、対談を通して、同じようにフランス小説の特質というものも見えてきます。
個人的な好みもありますが、新しいところよりも、スタンダールバルザックフローベールといったところを読み直してみたいと思いました。早速、野崎訳『赤と黒』を注文しました。読後に扱った本を読みたいと思わせるということは、この本の試みが成功しているからではないかと思います。私よりも数歳年上のお二人の口から時どき漏れ出てくるロックやポップ・カルチャーについての話題を見つけるたびに、自分も格好よくなりたいと先輩の話を盗み聞きしている中学生のような気分になりました。若いみなさんはどんな感じでこういった本を読むのでしょうか。また感想を聞かせてください。