【小説】もうひとりの「ブロンテ姉妹」

日本ブロンテ協会の学会誌に書評を書いていて、久方ぶりに「ブロンテ姉妹」について考えた。大学院の頃、ちょうど指導教授がシャーロット・ブロンテについていろいろと書いていたことと重なったので、シャーロットを中心にブロンテ姉妹の小説はすべて読むことになった。当時、翻訳が簡単に入手できたのはシャーロットの『ジェイン・エア』とエミリの『嵐が丘』くらいだったので、授業で読んだシャーロットの『教授』と『ヴィレット』以外にはすべて個人的に読んだことになる(それにしても、4年次ゼミで翻訳なしの『教授』を読ませるとは、今ではちょっと考えにくい)。そのとき、アン・ブロンテの『アグネス・グレイ』と『ワイルドフェル・ホールの住人』も読んだはずである。「はずである」と書いたのは、実は、読んだ記憶はあるのだが、どうも印象がはっきりと残っていなかった。今から考えると、完全にシャーロットの視線で「ブロンテ姉妹」の作品を考えていたようで、エミリは天才、シャーロットの作品はすぐれている(事実、『ヴィレット』は今でも面白かったと記憶している)、そしてアンはあくまでも第三番手、そんな偏見があったのだと思う。
アン・ブロンテ? 誰、それ?」という声も学部生からは聞こえてきそうだが、シャーロット、エミリ、そして末妹のアンを加えた3人が「ブロンテ姉妹」なのである。先の二人ばかり、というか、文学史では『ジェイン・エア』と『嵐が丘』ばかりが取り上げられることが多く、アンについては、まるでこの二人の付録であるかのように簡単に触れられることがほとんどだ。そのため、どうも印象が薄い。事実、私が院生の頃(1980年代後半)には原書でもアンの作品は入手しにくく、ペンギン版やオックスフォード・ワールズ・クラシック版にも入っておらず、イントロダクションも注釈もないエヴリマン版で読んだ記憶がある。後になって、この版は不完全なものであったことを聞くと、いかにアンの評価が低かったかが容易に想像できるだろう。
ところが、風向きが変わったのが、2000年に入った頃だろうか。アンの作品に対する評価が上がってきて、日本でも単独の研究書が出るにもなった。再評価、と言うよりも、初めて正当に評価されるようになったと言えるのだろう。
私がアンの作品を読み直すきっかけになったのは、数年前にブロンテ協会が大会シンポジウムでアン・ブロンテの作品をテーマにし、そこへ参加させていただいたことだった。その際、彼女の『アグネス・グレイ』と『ワイルドフェル・ホールの住人』を読み直した。前者のドライな感じのユーモアは、同じくガヴァネスを扱った『ジェイン・エア』にはないもので、それはそれで面白かったが、圧倒的に面白かったのは後者である。以後、しばらくはこの作品についていろいろと考え、ヒロインが日記を書く行為そのものに精神的安定を保つ要素があるのではないかと考え、「自分語り」と「癒し」をキーワードに論文にまとめた。

ワイルドフェル・ホールの住人 (ブロンテ全集 9)

ワイルドフェル・ホールの住人 (ブロンテ全集 9)

『ワイルドフェル・ホールの住人』の特徴は、『嵐が丘』のように、その語りの重層性にある。二重三重に語りの構造が複雑化され、一番中心にあるのはヒロインの書く日記である。読者は、いくつかの語り手のフィルターを通しながらこの日記を読み進めていくことになる。そのため、読者は常に語りの信憑性を意識せざるを得ず、そのことが作品に幅を持たせる理由となっている。内容としては、アッパー・ミドルの地主階級の道徳的堕落に対する批判が強く、ギャンブル、飲酒、不倫などが次々に出てくる、一種のアッパー・ミドルの退廃ぶりの内部告発のような趣きもある。
最後には、子どもを守ったヒロインが放蕩の末に死にゆく夫を見送った後、新たな愛情を得ていくというものであるが、この物語はそう単純な話でもない。社会的地位が圧倒的に高いのはヒロインの方、そして結末で実質的なプロポーズをするのはヒロインなのである。相手の農夫の男性は、ただおずおずと自信なげにそれを受け入れるだけ。この作品が書かれた時代の雰囲気を考えると、そんな設定が与える社会的影響は『ジェイン・エア』どころではないように思う。究極の逆玉の輿のけっこう過激な物語だと言えるだろう。
この作品について改めて考えてみると、もしかしたら、アンの方がシャーロットよりも小説家としての技量は上ではないか、そんなことさえ考えてしまう。この作品が文庫や単行本の翻訳で読むことができないのは本当に残念である。簡単に日本語で読めるようになれば、是非とも、授業でも扱ってみたい作品のひとつである。