【評伝】昔の大学は…

四方田犬彦、『先生とわたし』(新潮社)

先生とわたし

先生とわたし

皆さんは由良君美(1929年生、1990年没)という名前の英文学者を知っていますか? 女性ではなく、「ゆら・きみよし」と読む男性研究者。慶応義塾大学、東京大学教養部教授(いわゆる駒場ですね)を経て、最後は東洋英和女学院大学教授。幻想文学・批評理論などが専門。

私は、その名前は『椿説泰西浪曼派文学談議』(青土社)いう変わったタイトルと装丁の本の著者として、そしてジョージ・スタイナーの『言語と沈黙』(せりか書房)の翻訳者として知っていた。本書は、そんな「由良君美」という英文学者というよりは、教師について、弟子の視線からまとめたもの。

私が大学に入ったのは1983年で、初めて東京での一人暮らしを始めたその頃、大学の生協の書棚の前に平積みにされていたのが「ニュー・アカニュー・アカデミズムの略)」の本だった。そういうブームがあったんですね。学問がファッションとして流行することについては批判もあったけど、多くの大学生に無理にでもそれらの本を読ませたことは確か。私には、浅田彰『構造と力』は難しくてよくわからなかったけど、中沢新一チベットモーツアルト』と四方田犬彦『クリティック』は面白く、以後もこの二人の著書はずっと読み続けてきた。最近は離れていますが。

本書の著者の四方田氏は、明治学院大学文学部芸術学科教授で、専門は比較文学。著書には漫画や映画に関するものも多い。個人的には、1990年ころに『SPA!』(扶桑社)という週刊誌に連載されていたコラムに大きな影響を受けました。

その四方田氏の本を久しぶりに読もうと思ったのは、「由良君美」についての伝記だと聞いたから。本書の大半では教え子であった四方田氏が見た由良氏について語られる。ただし、読後の印象としては、「間奏曲」の章が印象強く、単なる個人の伝記ではなく、きちんとした先生と弟子(教師と生徒)論となっている。先の高山宏氏の名前もたびたび出てくる。

由良氏の人となりについては本書を読んでもらうしかないが、随分と個性的な人物であったことは間違いない。私の周りにも氏のことを知る人がいて、時どき、お酒の席で話題になったりすることもある。弟子筋に当たるある先生は、「いろいろとあったけどすごく影響を受けた」と懐かしそうに語り、駒場で同僚だったという年配の先生は、「とにかくひどかった」と顔をしかめられる。そんな人物について、著者は多くの縁のあった人にインタビューをし、それを丁寧にまとめていく。読みやすい文章で、ぐいぐいと力強く、無理なく一気に読まされてしまった。

本書で一番印象に残ったのはゼミ分け試験の次の場面。

一週間後、図書館の大ホールを用いて選抜試験が行われた。会場に行ったわたしは、雰囲気の異様さに驚いた。定員の十倍近い、百人ほどの学生がすでに席に就いていた。そして、ホールの壁を震わすかのように、ワグナーの『ワレキューレ』が鳴り響いていたのである。そのなかを会場整理に駆り出されたと思しき昨年のゼミ生たちが何人か、問題用紙を配っている。問題用紙には、赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを分析せよとだけ、簡潔に記されていた。(p. 17-18)

結局、約100名の希望者中で選ばれたのは8名だったというが、1970年代の大学の雰囲気(と言っても、東大は特別なんでしょうけど)がよくわかるエピソードである。ワグナーが鳴り響く大ホールに赤塚不二夫(知っています? 『天才バカボン』などのギャグ漫画ですね)とくるところなど、何となく『時計じかけのオレンジ』にもつながるような暴力性や混沌さをも感じることができる。これがゼミ分けとは…。そんな70年代に遅れてきた世代としては、屈折した憧れの気持ちを抱かされてしまう。

由良ゼミからは、先の富山太佳夫高山宏四方田犬彦をはじめ、ゼミ生として名前が出てくるのは、現在、各分野で中心的な仕事をしている人たち。ただ、ただ、「すごい」の一言で、その破滅的な後半生を含め、由良氏の教師としての存在感の大きさを改めて感じさせられた。同時に、いったい自分に教師として何ができるのか、という問題を突きつけられることにもなる。

でも、ゼミの時間の後に、教師と学生という枠を超えて自由に語り合えるという(恋愛観だけなく、学問的なことも!)由良研究室の雰囲気が再現できるといいなあ、といつも考えています。