【文化】サークルの大切さ

橋口稔、『ブルームズベリー・グループ―ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹とエリートたち』(中公新書 916)

まず、「ブルームズベリー」というのは、ロンドンの中心地の地区のことで、ここには大英博物館(かつては大英図書館も)やロンドン大学などがある文教地区。

そんな地区にあった家に、1905年頃から第2次世界大戦頃まで、ケンブリッジ大学を出たエリートたちが定期的に集まっては、芸術論や政治論を交わしていたため、「ブルームズベリー・グループ」と呼ばれるようになった。

関わった人物として、経済学者ジョン・メイナード・ケインズ、伝記作家リットン・ストレイチー、画家ロジャー・フライ、作家デイヴィッド・ガーネットなどの名前が挙がるが、当時の有力批評家レスリー・スティーヴンズの娘たちであるヴァネッサとヴァージニアの姉妹(後の画家ヴァネッサ・ベル、小説家ヴァージニア・ウルフ)も有名。他にも、小説家E・M・フォースターや哲学者バートランド・ラッセルらも加えられることがある。別にひとつの思想信条で集まったわけではなく、自然に始まったものだけに、人によって挙げるメンバーも変わるという緩やかなものらしい。

1910年には、エチオピア皇帝などに変装したウルフら数名が、警備の厳しい軍艦に入り込んだ事件は大いに話題になるが、同時に世間からは厳しく批判されたという。本人たちの心持は別にして、エリートの集団に対して世間は厳しいものであるが、彼らもその例外ではないということか。モラルがまだ厳しかったこの時代、強いエリート意識に基づく排他的な雰囲気や、男女が入り混じって夜を明かしながら議論をすること、良心的兵役拒否の態度などに対して世間が強く反感を覚えたであろうことは容易に想像することができる。事実、スティーヴンズ姉妹は、このサークル内で結婚相手を見つけることになったし。

しかしそれでも、現在のような反教養主義が雰囲気の中では、少しはこういうグループによる知的活動をもっと評価するべきではないかと思う。モダニズムの大きなところが、ここから始まったことは間違いないのだから。

また、「結社」や「公共圏」について考えるときには、ひとつの形として取り上げてみると面白いのではないかとも思う。「疎外」の時代といわれる現代において、人と人が結びつくためのひとつの可能性にもつながるかも。

例えば、私の専門のオースティンの場合、アメリカでは、読書会の流行というスタイルで(映画『ジェイン・オースティンの読書家』は観ました?)、あるいは、インターネットで結びついた「The Republic of Pemberley」(http://www.pemberley.com/index.html)という電脳空間的読書会などの形で人と人は結びついていて、そんな新しい人と人のつながりのスタイルについて考えるひとつのヒントになりそうな気もします。