【小説】イギリス小説の古典を読もうプロジェクト、まずは『ガリヴァー旅行記』

イギリスの文学や文化関係の本を紹介するはずが、すっかりテーマがそれてしまったので、またもとに戻します。現代の作家たちも面白い作品をたくさん書いているのですが、意外に「定番」とされるような有名な作品にも、読み直してみると、随分とおもしろい作品がたくさんあります。「イギリス小説の古典を読もう」ということで、まずはジョナサン・スウィフト(1667−1745)の『ガリヴァー旅行記』を紹介したいと思います。『ガリヴァー旅行記』というと、海岸で小人たちに縛り付けられているガリヴァーのイラストを思い出す人も多いと思いますが、この作品、決して絵本や子供向けの物語として面白いだけではありません。現代の社会に対する諷刺としても、まだまだ十分に通用します。

スウィフトは、アイルランド生まれの作家。小説のほかにも、当時の政治を批判する小冊子などもたくさん書いています。特に有名なのは、「飢饉の際には子どもの肉を食べよう」と訴えた『穏健なる提案』。省略しないタイトルは、『アイルランドの貧民の子供たちが両親及び国の負担となることを防ぎ、国家社会の有益なる存在たらしめるための穏健なる提案』という非常に長いもの。もちろん、これは文字通りに「子どもを食べよう」と言っているのではなく、大飢饉に苦しむアイルランドを見捨てて助けの手を差し伸べようとしないイギリス政府を痛烈に批判したもの。この件でよくわかるように、彼の諷刺は一筋縄ではいかないところがあるのですが、そこが面白いところでもあります。

ですから、『ガリヴァー旅行記』も、もちろんそんな単純な冒険物語ではありません。「巨人の国」「小人の国」「空飛ぶ島」「馬の国」をガリヴァーが訪れるのはみなさんの記憶通りなのですが、そこで描かれている事柄はとても子どもに向くような穏健なものではありません。当時の政府の植民地主義などに対する批判はもちろん、ここからが『ガリヴァー旅行記』のすごいところなのですが、その批判は単に当時の政府に当てはまるだけではなく、十分に21世紀の現代に向けられていると読んでもおかしくないところです。これでは、スウィフトの人間性を見る目の確かゆえに、時代や国を超えた普遍性を持っているからだと思います。

また意外なことに、この作品には日本人が登場します。しかも、それが好意的に描かれているとしたら。18世紀のイギリス人がどのように日本人を理解していたのかを考える、ひとつのきっかけになりますよね。読んでみたいと思いませんか?

さて、作品そのものは面白いので、問題はどの訳で読むのか、でしょう。定番としては新潮文庫中野好夫訳になるかと思います。中野訳は、新潮文庫版『自負と偏見』も見事なのですが、ただ見事な中野調になっているだけに、やや原文からは外れてしまっているような個所もあるようです。ここは、もうひとつの個性的な訳業である下記のもので読んでみるというのはいかがでしょうか。

ユートピア旅行記叢書〈第6巻〉18世紀イギリス 1 ガリヴァー旅行記

ユートピア旅行記叢書〈第6巻〉18世紀イギリス 1 ガリヴァー旅行記

富山訳も随分と個性的です。例えば、第3篇第5章では、いかさま科学研究(例えば、屋上から家を建てる方法、とか)をする施設を訪問した際、これまでは「似非科学」とされていたものを「ベンチャー事業」と訳してしまう軽快さ。古典を訳し直す際、しかも先行訳が素晴らしいものであれば、なかなか思い切れないものの、こういう冒険も必要なんだろうと思います。さあ、みなさん、まずは原作を読んでみましょう。

もし、どうしてもとっつきにくい人は、まずは下記の絵本から始めるのもよいかもしれません。

ヴィジュアル版 ガリヴァー旅行記

ヴィジュアル版 ガリヴァー旅行記

実は、近いうちに、富山訳がさらにヴァージョン・アップして登場する予定。日本を代表する若手・中堅のスウィフト研究者の助けを得ながらの作業が進んでいるようです。それを読める日は楽しみですが、その前に、まずは現行訳で読んでおきましょう。この作品、面白いですよ。