【現代アメリカ小説】「普遍的な自己」などあるのか?

恩師の書く本についてはできるだけ読むようにしています。もちろん、学生・院生時代を思い出しながら懐かしむ気分もあるのですが、同時に、自分も歳をとり、大学で教えるようにもなったので、段々と同じような目線で読むようにもなってきています。ただ、圧倒的にかなわないなぁ、というのが率直な感想になることが多いのですが。
そんなわけで、恩師のひとりである筒井正明先生の下記の本を書店で見つけたので読んでみました。アメリカ小説についての本ですが、そういうことで紹介します。

真なる自己を索めて―現代アメリカ文学を読む

真なる自己を索めて―現代アメリカ文学を読む

筒井先生といえばヘンリー・ミラーについての下記の著作があることもあり、アメリカ文学でも主流ではなく、そこから外れたところから「人間とは何か」について考える現代のアウトロー作家の専門家という印象が強いのですが、もちろん、昔から授業ではヘミングウェイフィッツジェラルドなどの主流作家の作品も扱っていました。
ヘンリー・ミラーとその世界 (1973年)

ヘンリー・ミラーとその世界 (1973年)

当時、先生の授業には圧倒的な迫力があり、ゼミや講義には受講生が殺到、ゼミも定員20名のところに40名を超える学生が在籍していたという、カリスマ的な魅力のある先生でした。某大手予備校でも教えていたこともあり、そのときの受講生がそのまま先生を慕って進学してくるケースもあったほど。その魅力は独特な話し方でもってアメリカ小説について語る筒井節にあって、作品を通して語られる人生や生き方には共感する学生が多数いました。当時の私の母校の英文学科のスタッフは、今からして思うと相当に優秀な研究者が揃っていたのですが、多くの先生とは違う近い距離間を学生たちは筒井先生に感じていたのだと思います。豪快で大らかなお人柄に惹かれた学生たちが多かったのでしょう。
今、イギリス小説を勉強していますが、実は私もそんな筒井ファンのひとりでした。文学そのものに興味をもつようになったきっかけも筒井先生の授業でした。教職希望だったのですが、このまま高校教員になることに何となく不安を感じ、そうかといって、会社に就職することにも違和感を感じていた大学3年生の前期に受けた授業のひとつが筒井先生の「現代アメリカ小説」でした。「自分とは何か?」とか「生きることとは何か?」いった疑問を突き付けられ、筒井節でもって語られる人生観を必死になって聴いていました。それまでは授業に出ることの方が少なかったくらいですが、この授業は一番前に座り、ノートも取れなくくらい熱心に聴き入っていました。
当然、授業で紹介される小説はすべて読み、興味をもった作家の他の作品もひたすらに読みまくりました。たまたま、アメリカ小説の翻訳で有名な大津栄一郎先生も大学にいらっしゃったこともあり、大津訳のものは随分と読みました(大津先生には大学院でも特にお世話になりました)。なので、当時の私が熱心に読んでいたのはアメリカの現代小説で、フィッツジェラルドが大好き、他にはサリンジャー、マラマッド、フィリップ・ロスなどのユダヤ系作家が好きでした。また、フラナリー・オコナーは大好きな作家のひとりです。今から考えると不思議なもので、ある種の一過性の熱病のようなところもあったのだと思います。
このことがきっかけになり、そのときまではあまり興味のなかった授業についても、真面目に出席して聴くようになりました。そうすると、不思議なことに、つまらないと思っていた先生方の話が、わかるようになるにつれて面白くなってくるのです。元々、ビートルズが好きでイギリスに興味のあった私はイギリスの小説も読むようになり、やがて興味も変わってきます。また、蒐集癖が強く、妙なこだわりもあるので、あるとき、卒業までに図書館にあるイギリスの小説の翻訳を「あいうえお順」に読破してやろうと思いつき、それを実行しました(あるときにわかったのですが、私の母校の図書館は原書を揃えるのに力を入れており、翻訳書は少なかったのだそうです。なあんだ、ですね)。原書でなく、翻訳というのが情けなくはありますが、それまで自分が知らなかった作家や作品の多いことを実感しました。そして、高校の教員になるにしても、まずは大学院に進んでからでもいいだろうと考えるようになったのです。
そんなこともあり、大学院に入り、イギリス小説を専攻することを話した際、「なんでアメリカに来ないんだよお」と気安く言われたこと覚えています。というのも、大学院受験の際、私は「アメリカ小説」の科目を選んで受験したのでした。
本書を読みながら、そんなことを思い出しました。というのも、下記のような一文で書き始められているからです。
「現代人は自分独自の考え方、感じ方、自分の真に欲しているところから発する自分独自の行き方を有していない。自己を確立していない現代人は、代わりに社会の既成の価値観や生き方を自分独自のものとして無自覚に受け入れ、他者のものである考え方、感じ方を自分のものと信じ、他の大勢の人の一律化した既成のライフスタイルに従うだけの生活となっている。そうではなくて、人間は自分が真に欲しているもの、自分が真に価値を置くもの、つまりは自分自身というものを発見し、それにのっとって自分だけの、自分らしい生き方を貫くべきではなかろうか。」(pp. 7-8)
変わってないですねえ。ここで語られるのは小説ではなく、アメリカ小説を通して垣間見える人生そのものなのです。こういうスタンスは今ではなかなか素直に受け入れられないのかもしれませんが、文学作品が本来追及すべきテーマであることは確かです。
そんな筒井先生も今年度をもってご退職だそうです。昨年、久しぶりにお会いしてお話をさせていただきました。年はとっていらっしゃっても、相変わらずお元気で、大柄で、迫力のある話し方に嬉しくなりました。計算してみると、学生の私が講義を夢中になって聴いていた頃の先生の年齢になっていることに気づきました。先生の大きさに改めて感じ入っています。