【小説】やっぱりオーウェルはすごい!

今年度に担当している授業のひとつに、「小説を通して英語を学ぶ」というものがあり、散々に迷った挙句、ジョージ・オーウェルの『動物農場』を読むことにしました。新しい翻訳も出ましたし。もちろん、授業では英語で読んでいます。

動物農場―おとぎばなし (岩波文庫)

動物農場―おとぎばなし (岩波文庫)

今回、原文で細かく読んでいく中で改めて感じたのは、「オーウェルはすごい!」ということでした。そのひとつは作品の普遍性であり、もうひとつは「ことば」そのものに対する作者の意識の高さです。
この作品が、革命後のソ連スターリン体制を批判したものであることはよく知られていますが、現代の政治に対する批判の書としても十分に読むことができると思います。現在の日本を思い浮かべ、どのキャラクターがどの政治家に当たるかなどと考えながら読んでいくと、すぐに数名の顔が浮かんできます。私なら、ナポレオンは黒幕のOさん、スノーボールは現首相、などというのはぴったりだと思いますが。おそらく、どこの国の人が読んでも、同じように自国の政治家を思い浮かべることができるのではないかと思います。
さらにすごいと思うのは、「ことば」の持つ攻撃性について批判しているところ。「ことば」は使い方によっては自分(たち)を守る武器にもなりますが、場合によっては、相手を攻撃するための最強の武器にもなり得ます。個人的には、悪玉ナポレオンよりも興味深いのが、宣伝係のスクイーラー。「黒いものも白いものと納得させるほどの話術に長けている」というこの豚は、そのレトリック使いぶりにはすさまじいものがあります。詭弁を弄して人を言いくるめる術を学びたい人には、彼の話しぶりや論理展開は大いに参考になると思います。反対に、第7章には、雌馬のクローバーが独裁化していく動物農場を憂う場面が描かれますが、「ことば」をうまく操れない彼女の誠実な思いは他人に伝わることはありません。この両者を並列して描くところに、作者の「ことば」に対する絶望感の一端を垣間見ることができるように思います。
今回、強く感じたのは、作者の批判のまなざしは、決して独裁者のみに向けられているのではなく、同じように、それを許容し増長させていく大衆の側にも向けられていることです。以前にはあまり感じなかったことです。当たり前ですが、独裁者は自力でそうなれるはずはなく、多くの支持者に支えられた結果、そうなっていきます。ここで思い出すのは、初めにナチス・ドイツを熱烈に支持したのは、無知な一般大衆ではなく、実は都会のエリート層であったという、ハンナ・アーレントの指摘。動物農場でも、納得しているかどうかは別にして、もちろん、巧みな恐怖政治の手法が利用されはするのですが、最終的に幹部の豚以外の動物たちが支えなければ、ナポレオンの独裁もあり得ないのです。そうなってくると、牡馬ボクサーに対してさえ、酷ですが、同情心だけではない、強い批判を向けるべきであるように思えてきます。そして、この作者の批判は、当然、政治に無関心な現在の私たちにも向けられることになります。無知であることは許されないのです。
今回の授業の準備をする中で、この作品がアニメ化されていることを初めて知りました。
動物農場 [DVD]

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1954年の古い作品ですが、重々しい暗い雰囲気で、なかなか興味深い作品だと思います。ただ、原作からは変えられた結末は、映画という商業的要素の強い作品であるために仕方ないにしても、私にはいただけない感じがしました。
ある学生が、「動物がキャラクターで、副題が『おとぎばなし』というから、ほんわかしたものかと思いました。こんなにキツイ作品だったんですね…」と素直な感想を漏らしていました。確かにそうですよね。オーウェルの皮肉が最大限に利いた副題です。考えてみると、月曜日の2時限目の授業です。週初めの朝に、動物たちが惨殺される粛清のシーンなどを読んだりすると、私も何だか申し訳ないような気分になってしまうときもあります。もっと、元気になるような、明るい作品をするべきだったかと。でも、やっぱり、小説というのは恋愛モノだけでなく、この作品のように、時代ごとの価値観でもって読み継がれるべき政治的なものがあることを知ることも大切ではないかと思います。
オーウェルの魅力がどこにあるかというと、その生真面目さではないでしょうか。奇を衒うようなところもなく、自分の信念に基づいて、正確な表現でもって作品を書いていくストイックさ。それが彼の魅力ではないでしょうか。今のような、不安定でありながらも白けてしまっているような時代にこそ、もっときちんと読まれるべき作家だと思います。