【挿絵】イギリスの動物木版画

先のブログにも書いたが、このところ、ヴィクトリア朝のイギリスについて授業などで話をすることが多くなった。そのための準備として、ディケンズサッカレーなどの小説の他に、『パンチ(Punch)』や『ロンドン挿絵付新聞(London Illustrated News)』などの雑誌も教材に使うことになる。そのため、時どきは大学の図書館にこもって、1階の電動書架の間の暗いスペースでそんな雑誌をペラペラとめくっている。
小説を読む場合、特に19世紀は、作家の書いた文字だけではなく、挿絵も込みで読み解くべきだということは、富山太佳夫著『英文学への挑戦』(岩波書店)で学んだ。確かに、綿密に相談しながら挿絵画家にイラストを描かせたディケンズの作品もさることながら、絵心があって、自分の小説の挿絵を自ら描いたサッカレーの場合には、挿絵の持つ意味は余計に重要になってくるであろう。分冊や雑誌連載といった作品の刊行形式ももちろん、そんな点においても、当時の一般読者がどのように作品を読んでいたのかついて考えながら読んでいくのは興味深いことであろう。

英文学への挑戦

英文学への挑戦

授業では、「19世紀になって読者層が労働者階級まで広がり、小説にメリハリをつけるために、文字だけでなく挿絵も付けられることになった」とよく説明していたが、ふとビューイックのことを思い出した。主に18世紀末から19世紀初めにかけて作品を発表した木版画家である。最近はあまり考えることもなかったビューイックのことをふと思い出して、平田家就著『ビューイックの木版画』(研究社叢書)を引っ張り出してきて読み直していた。集中して一気に読み終える、というのではなく、ぼちぼちと2ヶ月くらいをかけてゆっくりと読んだ。本書で平田氏は、ウィリアム・ホガースやウィリアム・ブレイクと並べて、イギリスの三大版画家としてビューイックの名前を挙げている。確かに、ホガースのようなウィットがある訳ではなく、ブレイクのような深遠さがある訳でもなく、そのために他の二人に比べると地味な感じではあるが、彼が重要な版画家であることは間違いないであろう。
トマス・ビューイック(1753‐1828)については、イギリスの小説が好きな人であれば、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』の冒頭で、居候している親戚のお屋敷でいじめられるのを避けるため、主人公が書斎のカーテンに隠れながら読んでいる本の一冊がビューイックの版画集であったことを思い出すかもしれない。動物画や田舎の風物などを中心に、小説や詩集の挿絵のほかに(代表作にはオリヴァー・ゴールドスミスの小説や詩集に添えたものがある)、地方風物集などを発表して広く読まれた版画家であった。個人的にも彼の細密な動物画が好きなので、画集なども買って眺めることが時どきあった。細密画と言えるほどの実に精密な木版画に驚かされる。ちょっと大きすぎるけど、フクロウの絵をどうぞ。翼の羽の細かさなど、版画とは思えないほどの細かさがよくわかる。

ニューカッスルに生まれ、ロンドンに出たこともあったが、都会生活に馴染めずに故郷に帰って仕事をしたというビューイック。明らかに、ヴィクトリア朝に描かれた挿絵とは趣が違い、娯楽といった雰囲気はなく、そんなビューイックの朴訥さや勤勉さがよくわかる作品となっている。子ども時代のジェイン・エアが好んで読んだというのもよくわかる。本書は、そんなビューイックの生涯を追いながら、彼の作品の創作の背景などを詳細にまとめたもので、読んでいて楽しくなるというものではないが、ビューイックの版画のごとく、勤勉実直な紹介書で大いに参考になった。挿絵やイラストというとヴィクトリア朝のイメージが強いが、ビューイックなどの作品を見ていると、都会的ではなく地方に根付いた18世紀的な「古き良きイングランド」のあったことを実感することができるのではないだろうか。
それにしても、「研究社叢書」はすぐれたラインナップを揃えている。このような本が簡単に入手できた時代は素晴らしいと思う。川崎寿彦著『鏡のマニエリスム』、松村昌家著『ディケンズとロンドン』、川口喬一著『イギリス小説の現在』など、このところの浅薄な新書とは違う深みのあるすぐれた入門書がたくさん入っている。まだ古本で探すことはできるものの、こういう本でもってイギリスの文学や文化に触れることができると、その先にいろいろと考えることへつながっていくのではないかと思う。