【小説】この推理小説はフェアかアンフェアか?
とうとう読みました。アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』。田村隆一ファンなので古い方のハヤカワ文庫で読んだのですが、ここでは入手しやすい方を紹介します。
- 作者: アガサクリスティー,Agatha Christie,羽田詩津子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2003/12/01
- メディア: 文庫
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同僚の由井先生(お名前は出していいですよね?)は桁外れの読書家で、私が読んだ本の話をすると、そのほとんどをすでに読んでいることがしばしば。ゴダードしかり、クロフツしかり、そして、今回の『アクロイド殺し』もそうでした。その由井先生によると、こうした展開は「あり」というご意見でしたが、私も同感でした。そもそも、私は熱心なミステリーの読者でもなく、どちらかというと、いわゆる小説として各作品を読んでしまうので、この作品を読み終わって「ルール違反だ!」という感覚もないのだと思います。むしろ、読後の感想としては、さすがに人物描写と時代の描き方がとてもうまいと感心しました。クリスティの他の作品はいくつか読んだ記憶があるのですが、今回、特に強くその点を感じました。
いわゆる小説として読んだ場合、気になったの下記のような点。田村訳で引用します。
"「そうともかぎりませんよ」私はそっけなく言った。「そういうことをやっている連中は、たいていスコットランド人ですからね。しかし、その二人の先祖には、ユダヤ人の血が混じっているようですな」"
ここの「そういうこと」というのは厳しくお金を請求すること。スコットランド人というのは初耳ですが、ユダヤ人がお金に厳しいというのは、イギリス文学に繰り返し出てくる設定。そういう民族についてのステレオタイプがここでも生きていることがわかってきます。
また、次のような個所をはじめ、優生学的な記述が頻繁に出てくることも気になった。
"「ちょっとここがいかれていますな。前からそんなことじゃないかと思っていたんですよ。気の毒に、だから引退して、こんな田舎に来たんですな。血筋ですからな、さもありなんですよ。あの人には、頭のおかしい甥がいるんです」"
これらの差別的な記述を取り上げてクリスティを批判するのではなく、この作品が書かれた1920年代のこれらの事柄についての一般的な考え方を知ることができる好例でしょう。いわゆる流行小説には、より強く印象づけるためにステレオタイプが用いられていることが多く、その時代について知るための大きな手掛かりとなるのです。クリスティの小説は、そんな読み方をするにはうってつけの作品でしょう。