【入門書】ブロンテ姉妹の入門書

以前、あるベテランの先生が「授業で小説のあらすじを説明するのは難しい」とおっしゃっていたのを覚えています。そのときには「そんなもんかなあ…」と思っただけでしたが、いざ自分でも文学関係の授業を担当するようになって、この先生のそんな言葉を時どき思い出します。小説の場合、物語の筋がわからなければ話にならないところがあるので、これは講義で小説を扱う際の永遠のテーマのひとつなんでしょう。

理想的には授業までに作品を読んできて、それを前提にあらすじなどには触れず、いきなり個別テーマについて話ができれば随分と楽な気がします。今年度の後期には二つの文学関係の講義があって、ひとつでは学期中に5作品について、もうひとつの授業ではほぼ毎回1冊の作品について話をしています。特に前者では作品を読むそのものを目標にしているので、原書を読んでもらうのが理想的ではあるもののそれも難しく、翻訳でも構わないことにし、その代わり、講義テーマに関連する個所だけは厳選して原文をコピーを配布するようにしています。せめて、そこだけは英語で読みましょう、と。もうひとつの方は、人物相関図を配布したり、映画化されたものを抜粋で見せたりしながら、できるだけ飽きないような工夫をしています。

その他、今年は、なぜか「イギリス文学史」づいている年で、非常勤先を含め、三つの講義をしています。この授業においても、作品を読んでいない(であろう)受講生にどのように作品を説明するか、随分と苦心しています。前期に1、2冊だけを扱うのであれば必ず事前に読んでこさせ、小テストなどで確認するのも可能だと思うものの、毎週1冊となるとそこまで強制するにはさすがに抵抗があります。

そういうときに使うべきなのが入門書のたぐい。最近は出版不況もあって、いわゆる本格的な研究書は売れないため、出版社もなかなか出してくれない。代わりに増えているのが、図版をふんだんに盛り込んだ入門書。例えば、先日、下記のブロンテ姉妹の入門書を送っていただきました。

ブロンテ姉妹の世界

ブロンテ姉妹の世界

日本では、ブロンテ協会、ジョージ・エリオット協会、ギャスケル協会などは活発な啓蒙活動をしていて、次々に関連書を出版しています。今回の入門書もブロンテ協会のメンバーが中心になって書いたもの。一読すると、いわゆる専門の研究者(あるいはそれに近い院生)にはやや物足りない感がありました。おそらく、読者対象を英文学専攻の学部生や一般のブロンテのファンに設定しており、そうであれば仕方ないでしょう。ただ、ブロンテ姉妹については、少し前に下記のような紹介書が出版されています。

ブロンテ姉妹を学ぶ人のために

ブロンテ姉妹を学ぶ人のために

この2冊は同じ編者が関わってまとめられているせいか、どうしても構成が似通ってしまっています(三姉妹の小伝、あらすじを含めた作品の紹介、簡単な批評史、そして他の作家との比較、なぜかオースティンが入っている)。また、どちらもブロンテ協会のメンバー中心で、しかも執筆者もかなり重なっているせいか、内容も似た印象になってしまう。とにかく、なぜ同じような内容の入門書が2冊必要なのかがわかりにくいのです。

こんなことを書いていると、編集などしたことがないから苦労がわからないくせに、と言われてしまいそう。でも、ブロンテ姉妹について授業でよく扱う者としては、もう少し観点の違う入門書があったらよいのに、と考えてしまいます。先日のブログでも書きましたが、果たして入門書に作品の「あらすじ」を入れる必要があるのかについては、私はかなり否定的です。というのは、「あらすじ」を読んでしまうと、何だか作品そのものを読んでしまったような気になってしまい、なかなか実際に作品を読んでくれないからです。私の経験では、授業でしっかりと内容を紹介した作品は意外に読んでもらえず、中途半端な紹介しかできなかった作品の方がむしろ読まれているような気がしています。物語の先を知るには自分で読むしかないためだからでしょうか。「あらすじ」を読んでしまい、筋の展開がだいたいわかっている作品を新たに読み始めるというのは、よほどその作品が気に入った場合しかないのではないかと考えます。

それから気になったのが、どうしても執筆者の見方が強く出た紹介になってしまうこと。例えば、第Ⅰ部「作品鑑賞」の第4章『ジェイン・エア』の章。ここの二.「読み方」の中では、1.フェミニズム、2.階級、3.コロニアリズム、4.広がる可能性、として簡単に触れられています。個人的には、物語の展開のさせ方や人名・地名の付け方がバニヤンの『天路歴程』に似ていること、聖書やミルトンなどの引用が多いこと、そして何よりも、作品そのものが宣教師として殉教しようとしている人物の言葉を引用することで終わっていること、などを考えると、この作品はキリスト教的要素が極めて強いと考えています。むしろ、作者の主眼はそこにあったのではないかとさえ考えています。ところが、この点については、4.のところで少し触れられるだけなのです。「女性の自立」だけがテーマでないことをわかるように説明するためにも、この作品の「読み方」においては、「キリスト教的要素」という項目は必ず必要ではないでしょうか。作品理解の違いだからと言われれば、仕方ないのですが…。
また、他の作家の比較としてオースティンとギャスケル夫人が選ばれているものの、よく考えると、なぜこの二人なのか? 友人であったギャスケル夫人はまだしも、時代も資質も違うオースティンと比較することの意味が私にはわかりにくい。シャーロットとの関連で考えるなら、例えば、先にも触れた引用の多いミルトンについてどう考えていたのか、あるいは、『ジェイン・エア』が献呈されているサッカレーとの関係などについて書いてもらった方が興味深いと思うのは私だけでしょうか。だって、シャーロット・ブロンテが『ジェイン・エア』をよりによってサッカレーに捧げているなんて不思議な感じはしませんか?

そういう意味で、別な入門書のスタイルとして思いつくのが下記の本。

ディケンズの遺産―人間と作品の全体像

ディケンズの遺産―人間と作品の全体像

原題はAn Intelligent Person's Guide to Dickens。この本がユニークなのは、入門書でありながら、「作者の小伝」「作品のあらすじ」「批評史の流れ」といった、よくある構成にはなっていないところ。各章は「想像力」「無垢」「責任感と真剣さ」「進歩」「家庭」「信仰」というテーマ別。タイトルに、「知的な人のための」という言葉もあるように、まったくディケンズについて知らない人には読みにくいかもしれないものの、いくつか作品を読んだことのある読者にはなかなか示唆に富む指摘を見い出すことができる。原著者の書き方がよいのか、翻訳がよいのかはわからないが、読んだことのない作品が出てきた場合、その作品を読んでみようという気にさせられる。入門書の場合、読者にそう思わせるというのは大切なことではないでしょうか。

いろいろと書いたものの、もちろん、ブロンテ姉妹やその作品に興味を持った人にとって、このような入門書が役に立つことは事実。私も、早速、フェリスの図書館に入れ、授業でも紹介するつもり。特に、まだまだ日本では知られていないパトリック・ブランウェルや末妹のアン・ブロンテなどはこうやって紹介していくことが大切だと思います。さあ、みなさん、まずはこの本で面白そうな小説を見つけ、そして次には読んでみましょう。