【小説】ユートピアは未来にある? それとも過去にある?

諸々の仕事に追われ、すっかりご無沙汰していました。とりあえず、一息をつける気分になれたのでブログに向かっているのですが、次のことを考えるとおちおちしていられません。きちんと計画立ててやっていかないとダメですね。いつもそう思うのですが、なかなか実行に移せません。
最近、ずっと考えていたのがヴィクトリア朝時代のユートピア小説について。イギリスは、19世紀半ば以降には産業革命による経済発展を遂げて一気に世界の超大国へとのし上がっていくのですが、そんな急速な発展は必ず社会に歪みをもたらせます。国は豊かになり、一部の人たちも豊かになるのですが、どうしても取り残されてしまう人たちが出てきます。当時、それは労働者階級の人たちでした。資本家に富が集中するようになるといわゆる「搾取」のシステムが確立され、いくら労働者が一生懸命に働いたところでそちらには富は分配されません。こうして、ベンジャミン・ディズレーリのいう「二つの国民(富める者と貧しき者は相いれない)」がひとつの国の中に生まれることになります。このことが社会問題化すると、チャールズ・ディケンズやエリザベス・ギャスケルなどは小説で、ヘンリー・メイヒューなどはルポルタージュという方法で、それぞれリアルに描くことで社会に不正を訴えていきます。そして、これとは違う方法でもって問題を提議するのがユートピア物語といえるでしょう。ギリシャ語で「どこにもない国」を意味するユートピアを描くことで、現実の社会問題を告発していこうという訳です。
ヴィクトリア時代には多くのユートピア物語が書かれるのですが、今回の論文で取り上げたのが、代表的なものとされる、エドワード・ブルワー=リットンの『来るべき人種』、サミュエル・バトラーの『エレホン』、そしてウィリアム・モリスの『ユートピアだより』です。詳しくは音羽書房鶴見書店から秋に刊行する予定の『ヴィクトリア朝の文芸と社会改良(仮題)』に収録予定のものを読んでもらうとして、ここでは、三つの中で、もっとも興味を惹かれたモリスの作品について紹介したいと思います。

ユートピアだより (岩波文庫 白 201-1)

ユートピアだより (岩波文庫 白 201-1)

モリスというと芸術と生活を結びつけ直すアーツ・アンド・クラフツ運動の唱導者であり、「いちご泥棒」をはじめとする壁紙のデザイナー、ケルムコット・プレスなどでの独自の活字による自家版出版、あるいは社会主義運動家としての発言などが印象深いのですが、詩や小説など、多くの文学作品も残しています。『ユートピアだより』もそんな中の作品のひとつです。マルクス主義に影響を受けた彼の思想が色濃く出ているためか、岩波文庫では「文学」の赤版ではなく、「思想」の白版に入っています。思想書としても読めるのですが、ここではあくまでもユートピア小説として読んでみようと思います(結局、同じ方向を向いてしまうのですが…)。
英米ユートピア物語をまとめて読んでいくと、共通するテーマや設定がわかってきます。例えば、ほとんど必ずと言っていいほど、長老格の人物が出てきて、主人公の質問に答えるかたちで、その国の政治・経済・教育・生活ぶりなどについて詳しく話をします。その際、不遇だった過去を克服する努力を含めたその国の歴史が語られていくのですが、それがそのまま現実のイギリス社会の批判になっているのです。もうひとつ、その理想郷では科学技術が発達したお陰で人間の生活が改善され、苦役である「労働」から人々が解放されているという設定も共通することが多いようです。そのため、描かれる世界は近未来的な印象を与えることが多くなっています。ところが、『ユートピアだより』がそういった他のユートピア物語と違うのは、近未来的な社会ではなく、「過去」の社会のあり方に理想郷を求めているところです。具体的には、中世的な「同胞愛("fellowship")」の回復を訴えるのです。
社会が不安定な時代には過去に対する志向が強まることがよくあります。イギリスの場合、カトリック志向を例にとればわかりやすいかもしれません。ダーウィン主義や教会の腐敗などで宗教的懐疑が強まった19世紀の半ばには、キリスト教の本質をカトリックに求めるオクスフォード運動が起こりますし、二つの世界大戦を経た後の20世紀半ばにはグレアム・グリーンイーヴリン・ウォーなどのカトリックに改宗した作家たちが活躍します。派生したものがダメになったら、根幹に戻れ、という発想です。この感覚が理解できれば、モリスが中世にこだわった活動をしていたことの意図がよくわかると思います。
もうひとつ、この作品の面白いのは、「労働」を苦役ととらえず、そこに喜びを見出そうとしているところです。これはジョン・ラスキンの考え方に影響を受けたものとされています。ただ、これを実現させるためには、仕事は自由意志で選べることはもちろん、働くことが生活の糧と直結していてない必要があります。この二つが可能であれば、確かに楽しみながら「労働」することは可能でしょう。
ただ、「同胞愛」とか、「歓びのある労働」などが示されているものの、そこに至るために必要な手続きとしては「革命」が言及されるのみです。そのため、モリスの主張は理想に過ぎず、絵空事が描かれているだけ、という批判が出てくるのも仕方ないと思います。ただ、ジョン・レノンの「イマジン」という曲もそうなのですが、このような「夢見る人」がいなければ社会は決してよくなることはないと私は思います。「そんな実現不可能な…」として無視している間は社会は変わることはないでしょう。モリスのこの作品も、「イマジン」もそうですが、少し立ち止まって考えてみることが大切なように思います。そのとき、モリスのこの作品も社会に対して力を持ち得ることでしょう。
少し思想が前面に出過ぎた感もあり、物語の語りとしての面白さは少ないのだろうと思いますが、社会について考えることを促してくれる小説ではあります。ぜひ、読んでみてください。