【雑考】チャリティの方法

毎朝、新聞を見るのがつらい。被災で亡くなった数が1万人を超えてしまった。そのひとりひとりには、震災がなければ続いたであろう人生があったことを考えると、本当につらくなる。
そんな中、「アンパンマン」の主題歌「アンパンマンのマーチ」がラジオでは流れているという記事が載っていた。次のような歌詞が、子どもたちだけでなく、大人をも勇気づけているのだという。
「そうだ うれしいんだ / 生きる よろこび / たとえ 胸の傷がいたんでも / なんのために 生まれて / なにをして 生きるのか / こたえられない なんて / そんなのは いやだ!」
子ども向けのアニメ・ソングだからと軽く考えることが間違っていることがわかる。本当の意味で「ことば」の力を再認識できるのは、むしろ余計なもの(難しい表現や凝った言い回しなど)を削ぎ落としたものであることがわかる。文学作品でも、児童文学やファンタジー老若男女を問わずに読者を引きつける「力」のありかがわかるような気がする。
日本でも多くの人が参加しているが、欧米には「チャリティ」の伝統があり、今回のようなことが起こると様々な活動が行われる。ミュージシャンたちも例外ではなく、私の世代では、大学生だった1985年に作られたエチオピアの飢餓難民救済のためのイギリスの「バンド・エイド」やアメリカの「USA・フォー・アフリカ」がまず最初に思い浮かぶかもしれない。そのときには感銘を受けたものの、私には前者の主唱者がノーベル平和賞を受賞するに至って、なんか違うという感じもしてきた。でも、音楽が多くの人を救ったというのはそうであって、「ことば」や「音楽」が社会を動かすことこともあるんだと実感したのも事実であった。ただ、特定のチャリティのために作られた曲であったために、どこか期間限定というか、その時期が過ぎてしまってからも繰り返して聴くことはないようにも思う(教材などで使われていることも聞いていますが、それはあくまでも教えるための素材であるのでちょっと違うと思います)。
そんな中、個人的にすごいと思うのが、1970年のパキスタン内戦による難民救済のためにジョージ・ハリスンが主催したチャリティ・コンサート『バングラデシュ難民救済コンサート』を収録し、翌年に発売されたオムニバスのライブ・アルバム『バングラデシュ・コンサート』というアルバム。

リマスターのボックス版も出たが、やはりジャケットはこちら。ジョージが好きだという私の偏向さも作用しているだろうが、チャリティ・アルバムとしてはもちろん大きな力を発揮するだけにとどまらない「力」を持った作品になっているところがすごいと思う。また、単にチャリティとしての役割を果たしただけでなく、チャリティのあり方そのものを再考するヒントを示してくれているように思える。このアルバムにも多くのミュージシャンが参加していますが、欧米人だけではなく、ラビ=シャンカールを中心としたインドのミュージシャンも多数参加しており、第1部を含め、全体の印象としてはそちらの方が強く残るものとなっている。欧米主導の、悪く言えば、「助けてやる」といった感じの強い一方的なチャリティとならずに済んでいるのではないか。また、現在、このアルバムを聴くことは、チャリティとは違う文脈でも聴こえてくる。それは、世界の音楽の持つ多様性について考えるきっかけにもなりそうだ。欧米のロックやポップスにも負けない魅力がインドの音楽にもあることがわかる。ただ、後には、この企画も政治的に利用されるようになってしまうのだが、ラビ=シャンカールの次のような言葉、「しかし、私たちは音楽家だ。言いたいことは音楽で言う」に救われる。政治的に利用したければすればいい、ただ我々は「音楽」のメッセージを聞き取ればいいのだから。
今回の震災についても、早速、アップル社がiTunesを通して"Songs for Japan"というチャリティ・アルバムの配信を始めている。欧米中心ではあるが錚々たるミュージシャンの曲が38曲収録されて1500円。収益のすべてが日本赤十字社を通して寄付されるという。義捐金(これが正式な「ぎえんきん」の表記とは知りませんでした。「義援金」はマスコミの作った通例使用だとは…)を寄付したり、救援物資を送ったり、いろいろな方法はあるものの、このアルバムを買うことでも支援することができるのだ。音楽好きの人であれば、支援もできるし、自分も音楽を楽しめる。純粋な善意とは言えないのかもしれないが、長続きできる支援のあり方として重要なスタイルなのではないだろうか。迅速に企画を進めたアップル社、収録を許可したミュージシャンと音楽会社はさすがだと思う。
iTunesを通して音楽を聴いている人は、ぜひ、みんなでこのアルバムを購入しましょう。これだけの楽曲であれば、数年後にも十分楽しめると思います。