【小説】子どもの頭の中をのぞいてみれば…

東日本大震災の影響で、首都圏の大学では学事歴の変更が相次いでいるようだ。フェリスも4月いっぱいは60分に短縮して授業を行うことになったし、非常勤@戸塚でも授業の開始がゴールデンウィーク明けになったという連絡があった。被災地出身の学生のことを考えれば学期始まりを遅らせるというのはわかるが、90分を60分に短縮するというフェリスの対応は、個人的には「?」な感じがする。ただ非常勤@桜上水だけが動じず、予定通りに新学期が始まるらしい。この大学は本体の規模が桁外れに大きいせいか、よい意味で非常に鷹揚で「さすが」という対応が多い。人が集まることの力の強みを感じてしまうが、安心できる大学という感じがする。それにしても、3月の卒業式がなくなり、4月の入学式もなくなり、落ち着かない年度始まりとなった。
なかなか外出する気になれず、しばらく大学も入校禁止になっていたこともあって、このところ、自宅で過ごす時間が多かった。地震以来、何だか気が萎えてしまった感じが続いていたが、最近になってようやく本を読むことができるようになって、そろそろ溜まっている仕事をこなしていかなくてはいけないと思えるようになった。
そんな内向きの気分のとき、たまたま手にした連作集に元気をもらったような気がする。イアン・マキューアンの『夢みるピーターの七つの冒険』という本。

夢みるピーターの七つの冒険 (中公文庫)

夢みるピーターの七つの冒険 (中公文庫)

昨年度の個人的なテーマが「子ども」だったこともあって、早めに読もうと思って買っておいたものをようやく手に取ったという感じ。気が萎えてしまっていたときに、まずは金子恵の表紙のイラストに心惹かれて。
この物語は、10歳の男の子であるピーターの「夢想」が徹底的に彼の視点から描かれる。傍から見ると、彼はボオーッとしているだけのように見えるが、彼の頭の中では、あるときはネコになり、あるときには赤ん坊になり、この世界を眺めることに。普段は忘れてしまっているが、世界の見え方は立場が変われば違ってくるのは当たり前である。ただ、そんなことは大人になるにつれてそんなことは忘れてしまっている(僕自身、中学生くらいのときには無性に苛立っていたが、今となっては、そんな気分は思い出せても本当には実感できないようになっている気がする)。そんなことを思い出させてくれた。
もうひとつ、この物語を読んで自分が変わったと思ったのは、こちらも何を考えているんだかよくわからない息子を見る見方。何だか不可解なところのあるうちの息子、これまでは「本当にしょうがないなあ」という苛立ちと諦めの混ざった思いで見ていたものの、この本を読んでからは、「彼には彼なりの世界が広がっているんだ」と思えるようになった。格好よく言えば造形が好きな息子、ときどき取り憑かれたように空き箱の厚紙を切り刻んで貼り付けていろいろな「ガラクタ」を作るけど、そこでも彼なりの独自の世界が展開しているに違いない。そうわかってくると、あれは「ガラクタ」ではなく、立派な「造形芸術」なのだろう。そう思って彼の説明に耳を傾けると、「なるほどね」と思うようにもなってきた。
イアン・マキューアンといえば、デビュー作の『セメント・ガーデン』や私の大好きな『贖罪』の主人公をはじめとするアンファン・テリブル(恐るべき子ども)ばかりが印象に残っているだけに、今回のピーターくんのようなほのぼのした子どもが作品に出てきたことには驚いた。そして、それ以上に驚かせたのが、赤ん坊や老ネコから見た世界が実にリアルに描かれていること。到底、実感できないと、ここまでリアルに描くことはできないのではないか。マキューアンという作家の筆力がわかるが、とにかくすごい。衝撃的な記述で話題になることの多いものの、マキューアンという人、実は本質的にはピーターくんのようなタイプなのかもしれない。読ませる翻訳も見事。お勧めです。