【研究書】イギリスの新しい小説を読む。

何についてもそうだと思うが、「新しいもの」には魅力があるとともに、それをどう判断すればいいのかを迷うことが多い。そもそも、「新しいもの」を追い続けるには相当なエネルギーが必要であり、いったん目を離してしまうと、いつも間にやら、すっかりわからなくなってしまっていたりもする。私のとっての“今”の小説はそんな感じで、ジュリアン・バーンズカズオ・イシグロイアン・マキューアンが話題になり始めた頃には熱心に読んでいたものの、いつの間にやら、19世紀の小説しか読まなくなってしまっていた。そんなところへ、今回、イギリスへ行ったこともあって、前にも書いたように、「“今”の小説も読まねば!」なんて危機感を感じたりもしたわけである。
九州に福岡現代英国小説談話会という研究会があって、話を聞くと、一貫してブッカー賞やその周辺の作品にこだわって読書会を開いているという。1975年以来というから、もう35年以上も続いていることに。このグループのすごいところは、その成果をきちんとかたちにして発表しているところ。数年前、その研究会は下記の本を出した。

ブッカー・リーダー―現代英国・英連邦小説を読む

ブッカー・リーダー―現代英国・英連邦小説を読む

インターネットの普及で、確かにイギリスの新しい小説の情報もリアルタイムで入るようになって便利になったが、そういう情報の多くは「同時性」が強いゆえに「耐久性」については「??」という感じが否めない。数年後に読み直してみようという記事がどのくらいあるか。そういう意味では、こうして研究書のかたちでまとめられていると安心して読むことができ、1970年代以降のイギリス小説について知るのに重宝していた。それに続くものとして、2001年から2010年までのブッカー賞受賞作および最終候補作品についてまとめたものが刊行された。
新世紀の英語文学―ブッカー賞総覧〈2001‐2010〉

新世紀の英語文学―ブッカー賞総覧〈2001‐2010〉

まず、「序」を読むと、“今”のイギリスの小説の状況がよくわかる。この10年のブッカー賞受賞者の出身地を見ると、イギリス生まれはわkずか3人で、その他は旧植民地の出身者となっている。このことは、「EnglishからEnglishesへ、いま英語が歴史的に大きく変化している」(p. x)ことがわかるというのはこれまでにもしばしば指摘されてきたが、その先には「周縁から中心に向けて書く帝国」という言葉に象徴される「逆方向の移動」(p. xi)についてもきちんと説明されている点が興味深い。つまり、多くの作家が「教育と創作のためによりよい環境を求めて英語圏の中心へ移動する」(p. xi)傾向のことで、結局、ロンドン、オックスフォード、ケンブリッジの三カ所を出版や創作の中心となっている事実がある。ブッカー賞の受賞者リストを見ると、一見、国際化が進んでいるように見えるが、多くの受賞者たちは自分に縁のある土地を離れてイギリスの、しかもその中心地に集まってくるのだという(そういえば、イシグロにしても、日本では「日本出身の作家」みたいに考えて親近感を覚えているが、本人にはそういう意識は希薄だというし、イギリス人の多くも、彼のことは日系というよりも、普通にイギリスの作家と考えていると聞いた)。ここに、もう新しい「ポストコロニアル」つまり「中心と周縁」の問題のあることがわかる。その他、国際情勢や電子媒体の普及などによって、小説そのもののあり方が変わってきた点についても触れていて、現在のイギリスの小説のあり方を考える上で大いに参考になる。
目次を見ると、名前は知っているものの読んだことのない作品がズラーッと並んでいて、自分の不勉強が痛感される。読んだことがあるのは半分くらい…。この本のよいところは、ブッカー賞の受賞作だけではなく、最終候補作についての割と詳しい紹介も入っているところ。受賞してしまう作品よりも、最終候補作の方が実は面白いのではないのか、とうのはよく言われること。このリストを参考に、名前を聞いたこともなかった作家の作品を調べて読んでみる楽しみもある。それにしても、これだけ研究会が長く続いているのは、やはり会の中心である吉田徹夫先生のご人徳によるところが大きいのだろう。そして何よりも、東京や関西ではなく、九州からこうした成果が発表されることがとてもうれしい。元気な九州、いいですね。
表題には「研究書」と分類したが、良質な「ガイドブック」でもあるので気楽に手にとって、面白い作品を見つけて欲しい。この2冊を読めば、“今”の「イギリス」小説の概観がわかります。