【小説】モース警部、登場!

この夏にオックスフォードに寄ったとき、下のようなポスターをしばしば見かけた。ドラマ『主任警部モース』のポスター。

今回のイギリス旅行は、小説のいわゆる「ご当地モノ」がテーマだったので、オックスフォードに関しても、ハーディの『ジュード』、ルイス・キャロルの『アリス』、フィリップ・プルマンの『黄金の羅針盤』、そして異色なところではビアボームの『ズリイカ・ドブソン』の該当個所を読み直したりもしていたのだが、不覚にもコリン・デクスターを忘れていた。街のポスターや宿泊したランドルフコンシェルジュの脇にサイン本が展示してあるのを見て、オックスフォードの人たちがこのシリーズを誇りに思っていることがよくわかった。シリーズ名は知ってながらも、恥ずかしながら未読だったので、まずはシリーズ第1作目を読んでみることに。

ウッドストック行最終バス (ハヤカワ・ミステリ文庫)

ウッドストック行最終バス (ハヤカワ・ミステリ文庫)

本シリーズに登場するのは、モース警部とルイス巡査部長。この二人はホームズとワトソンに比されるほどで、先のポスターのようにドラマ化されて一気に人気が出たという。幸い、私はドラマを見ていないので、この二人についても俳優のイメージで印象が定着していなかったのが、ポスターを見る限りではよかったように思う。ドラマを見ていないのでわからないが、二人の年齢のバランスも含め、ちょっと原作と印象が違うような感じがする。
物語は、ひとりの美しい若い女性がオックスフォード郊外のパブの駐車場で惨殺される。さらに不幸なことに、彼女は性的暴行も受けていた。この事件を担当するのがモースとルイス。二人は、入手することができる限られた手掛かりを頼りに、事件の解明のために突き進んでいく。この事件で不思議だったのは、被害者と一緒にいた友人の女性が名乗り出てこないこと。そのことが事件の解決を遅らせることになるのだが、もちろん、そこにはある事情がある。そして容疑者は一転ニ転し、意外な犯人が逮捕される。
この作品で初めて一緒に仕事をすることになったモースとルイス。特にルイスは型破りなモースのことを理解しきれずに戸惑うこともあるが、最後まで忠実に仕えることになる。モースの推理力も万能なものではなく、たびたび誤った方向に進み、時にはルイスがそれを修正する。この二人がミステリの読者に好まれるのもよくわかる。この二人の関係は、例えば次のような個所を読むと妙にリアルに見えてくる。

「ルイス、君はタイムズを読むか?」
「いいえ、うちはミラーをとっています」それはちょっと気のひける告白だった。
「私もときどき読む」モースは行った。(21頁)

何気なく読み飛ばしてしまう個所であるが、なぜルイスは「ちょっと気がひける」のかを考えてみると面白い。愛読する新聞によって階級差が意識されるイギリスであれば、当然、何を読んでいるかが大きな意味を持っている。高級紙の『タイムズ』紙とタブロイドの『デイリー・ミラー』紙。他にも、二人の階級差は些細なエピソードでもって示される。例えば、ラテン語を勉強したことがあるモースとまったく知らないルイス。クロスワード・パズルが趣味のモースとほとんどできないルイス。フィッシュ・アンド・チップスをお皿に移して食べるモースと包みの新聞紙から直接に食べるルイス。こうして示される二人の違いは、イギリスの社会に厳然と残っている階級差を改めて意識させることになる。このように、多くのミステリは、いわゆる謎ときの面白さだけはなく、主人公が生きる社会がリアルに描かれている点でもとても興味深いものである。
男性作家によるミステリにおける女性の登場人物(特に被害者や主人公の恋人)の描かれ方についてしばしばフェミニストから批判される。男性を性的に誘惑するという被害者がブロンドの美人でスタイルがいい美人であること、またモースが好きになる女性などを読むと、この作品についても同じような批判はできるだろう。確かに、モースの恋愛のエピソードには、なぜ双方が惹かれ合うのかが十分に説得的に説明されているとは言い難い。この作品も、そんなステレオタイプに溢れていることは否めない。
そんなこともあるが、謎ときは別にして、人情モノとして読んでみても面白い作品ではある。私はオックスフォードには数回しか行ったことがないから地名や店名を見てもピンとこないが、詳しい人にはきっと「ああ、あそこ!」とわかる楽しみがあるのだろう。今度はケンブリッジものを読んでみよう。