【雑考】「デザイン『あ』展」で思ったこと

六本木の21_21 Design Sightで行われている「デザイン『あ』展」に行ってきた。イギリスとは直接に関係ないが、この展示をきっかけに「文学」について考えることがいくつかあったので、メモ代わりに記しておきたい。基本的にはテレビを観ないので(ニュース番組とサッカーの試合くらい)、NHKの教育テレビで番組としてやっていることも知らなかった。つまりまったく素のままで、卒業生に誘ってもらったので出かけてみた。頭の中は「『あ』展ってなに?」という疑問でいっぱいだった。

もともと現代アートやデザインは好きだし、活字フェチなので特にタイポグラフィーは大好きなので、「あ」という文字をいろいろとデザインしたものが展示されているのだろうと考えていたのだが、そういう単純でなものではなかった。いい意味で期待を裏切られる。会場に入ると、まず自分自身が「あ」の文字の一部分なったり、音楽に合わせて踊る姿が写真として撮られて保存されたり、「あ」の文字から自由に作画をしたりと、いわゆる体験型アートを楽しめるようになっている。さらに進むと、お寿司のネタが小→大に並べたものや、自身が寿司職人になっておもちゃの寿司を作るカウンター、動画に合わせて風呂敷をたたんでいったり、教室をデザインする人形の家があったり、iPadを使ってじょうろの作画をするとそれが自動的にアップロードされるコーナーなど、とにかく飽きずにイベントに参加することができる。子どもも大人も楽しみながら一生懸命にやっていた。
個人的に特に面白かったのは、木で作られた本が二分割されていて、その背表紙のことばを組み合わせてさまざまなタイトルを作り、それを本棚に並べていくコーナー。例えば、『注文の多い/じいさん』とか、『長靴をはいた/ジュリエット』とか、『はだかの/おじさん』などとという笑えるタイトルが続出していた。でも、この作業を見ていると、みんな、まず最初はきちんとしたタイトルを思い出しながら作り(『注文の多い料理店』とか『はだかの王様』とか)、その後、笑いながら妙なタイトルを組み合わせて作っていく。その作業を見ながら、文学作品のタイトルを使うことで、大学の文学関係の授業の中でもなんか面白い作業ができるのではないかという気がした。

ピタゴラスイッチ」のときもそうだけど、デザイナーの人たちの柔軟さには本当に感心させられてしまう。大げさな予備知識がない人たちが、妙な気負いもなく、「あ〜、なるほど」と思いながら楽しめて、そして実際に参加することができる。この展覧会に参加した人たち、特に子どもたちは、いろいろな意味で現代アートに興味を持つんだろうなあと強く思った。そうであれば、こういうコンセプトで大学の授業のいくつかを行うことはできないものだろうか。もちちろん、テキストをじっくり読んだり、細々とした社会背景を説明したり、とっつきにくい抽象的な批評理論で作品を読み解いたりすることは必要ではある。でも、多くが研究者としての専門知識を必要としていないのであれば、もっと気楽に文学作品に接するような工夫があってよいだろうといつも考えていたので、今回の展示にはいろいろとヒントをもらったような気がする。
授業をしていて感じるのは、多くの学生にとって、何かについて抽象的に考えることはとても難しいのだろうということ。何かを理解して分析していくには批評理論のようなものはどうしても必要だと思っているが、そういう話を始めると途端に教室の雰囲気が睡眠モードに入っていくのがわかってしまう。そこで、できるだけ具体的で身近な例を交えながら説明するようにしている。最近でも『ハリー・ポッター』をはじめとするファンタジーはやっぱり人気があるので、例えば、『オリヴァー・トウィスト』や『ジェイン・エア』なども「ファンタジーの構造をもった小説」として『ハリー・ポッター』と並べながら話をしていくことで、作品のキモの部分が少しは伝わっているような気がしている(錯覚であるという可能性も大いにあるが…)。とにかく、何でもいいので、まずは何かの点で文学作品に興味をもって触れて欲しい、そして、それがきっかけで少しでもいいから深みをのぞいてくれるようなことになれば、よりうれしいと思う。
一緒に行ったひとりから、「なんで『あ』なんでしょうね? 『い』とか『お』でもいいのに…」と尋ねられ、そのときは「なんでだろうね。デザイン的によかったのかね?」なんて答えた。でも、その後、いろいろと考えているうちに、「あ」が日本語の「始まりの文字」だからじゃないか、などと思い始めた。子どもたちが覚える初めての文字が「あ」であり、現代ではひらがなは「あいうえお」順で数える。だから、「始まり」を表現するために、「ことば」の始まりの文字として「あ」が選ばれたというわけ。そして、それは言葉の始まりだけではなく、「アート」に興味をもつ第一歩、もっと広く考えると、聖書のヨハネ福音書の冒頭の言葉「初めに、ことばがあった」ではないが、人と人との関わりを体感して考えていくことのスタートを意味し、それを象徴する文字として「あ」が選ばれたのではないか、そんなふうに考えるようになった。
でも、どうして「あ」なんでしょうね? そう考えてみるとますます面白い。