【小説】スコットランドの歴史を書き替える

昨年度の授業のひとつでスコットランドを扱ったものがあり、その準備のために改めてスコットランドに関連する書籍を読み、スコットランドの作家の文学作品のいくつかを新たに読んだり読み直したりした。その作業の中で改めて感じたのは、スコットランドについての知識不足であった。専門がイギリス文学といっても、これまでにイングランドの小説を中心に読んできているので、例えばウォルター・スコットといっても、ジェイン・オースティンとの関係で考えることはあっても、「スコットランドの詩人・小説家としてのスコット」という視点ではあまり考えたことがなかった。スコットランドの歴史を題材に作品を書いている、といっただけの認識。それだけに、今回の授業を担当したことは、自分の興味と視野を広げるという意味でも大いに役立ったと思う。授業とテストはちょっと難しかったようで、学生には申し訳なかったけど…。
その中で特に面白く読んだのが、スコットの『ウェイヴァリー』という小説。実は、十数年前に在外研究でケンブリッジに滞在していたときに、当時、英文学科で教えていたナイジェル・リースク先生(現グラスゴー大学教授)と話をしているとき、「スコットの作品の中で、オースティンについて考えるにはこの作品かな」と紹介されて初めて読んでみた。そのときには、物語の展開そのものは面白いが、とにかく登場人物も多く、歴史的事件なども次々に出てくるのに閉口した記憶がある。歴史書ではなく、歴史「小説」なので、実在の人物や実際の出来事の合間には架空の人物や出来事も織り交ぜられていて、「いったいどっちなんだ?」と混乱しながら読み進めたことをよく覚えている。そして、読後には、「スコットは面白いけど難しい」という印象が残った。スコットランドの歴史についての無知ゆえのこと。それが今回、スコットランドの歴史の流れについてひと通りの知識を入れて読んでいくと、最初に読んだときには漠然としていた物語世界の輪郭がクッキリとしたような感じがした。
そのスコットの『ウェイヴァリー』の翻訳が出た。出版については、抄訳になるとならないとか、紆余曲折があったらしいが、こうして全訳が出て、日本語で読むことができるというのは、本当に素晴らしい。また、各章ごとに詳細な注釈が付されているだけでなく、関連する写真やイラストも載せられていることも、物語の雰囲気を理解するには大いに役立っている。スコットには他にもたくさんの作品があり、そのうちのいくつかは翻訳もされているが、訳者のスコットやスコットランドに対する強い愛情が感じられるこの作品は、初めてスコットの世界に触れるには最適であるように思う。新書版の大きさで、タータン模様の中にミニチュアの肖像画という装丁もまたとても素敵なので、上・中・下の3冊とも下記に紹介しておきたい。

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈上〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈上〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈中〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈中〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈下〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈下〉 (万葉新書)

「60年前の物語」という副題をもつこの小説は、1745年に起こった「フォーティー・ファイブ」と呼ばれている有名なジャコバイトの反乱事件を背景に、イングランドの青年が、言葉も文化も政治信条も宗教もまったく異なるスコットランドのハイランドに入り込んでさまざまな経験をするという物語である。主人公のもともとのロマンチックな性向に偏った読書習慣が相まって、彼の頭の中はエキゾチックなスコットランドでいっぱいになってしまう。そこへ美しいハイランドの女性と知り合うことで、イングランド軍の将校であった彼は勢いからハイランド軍へ寝返ってしまう。そのままかつて所属していた軍隊と戦う中で、やがて恋に破れ、自らの過ちに気づくことで、最後は人の助けを受けながら元の立場へと戻っていくことになる。主人公の人生と歴史的事件が共鳴し合うことで、物語はリアリティを持っていくことになる。
ただ、今回、読み直して感じたのは、この小説をいわゆるファンタジーの枠組で読み解いてはどうかということである。ファンタジーは「現実」と「もうひとつの世界」(パラレル・ワールド)を行き来することで主人公が成長するのであるが、『ウェイヴァリー』もまた、イングランドという「現実」からハイランド地方という「パラレル・ワールド」に入り込んだ主人公が、そこでさまざまな経験をすることによって成長していく物語として読むのである。言葉も文化も異なるハイランドは、イングランド人の主人公にとっては、似てはいるもののまったく異なる「魔法の国」のようなものではないか。そう読むことで、この物語の文法はよく理解できるように感じた。
そもそも歴史小説は、歴史的事件などを題材に、作者の信条や立場を反映させながら「もうひとつの世界」を作り上げるものであるとするならば、小説を書くことを通して歴史を書き替える作業を行っていることにもなる。スコットによる『ウェイヴァリー』もまた、もうひとつのスコットランドの世界を作り出すものである。ただ、序文などではイングランド側から見た偏見に満ちたスコットランド像ではないものを描くことを目的としたとしているが、ファンタジーとして読むのであれば、これもまたローランド(低地)地方から見たハイランド(高地)地方の人間の偏見の満ちた世界であるようにも思えてくる。ハイランドで生まれ育った作家であれば、ファンタジーのようなものとは違った雰囲気になっていたのではないだろうか。それにしても面白い物語。