【実録】ロンドンの裏面史

Uzumiさん、初めまして。書き込みをありがとうございます。確かに「漫画」を取り上げるのは不思議な感じもあるかもしれませんが、結構、面白いものあるようです。これからも積極的に紹介していきますね。また感想などを寄せてください。でも、確かに、あんなにシェイクスピアを読み込んで暗唱できるような中学生はいないでしょうね…。
今回の『絶園のテンペスト』ですが、シェイクスピアの作品をモチーフにしているからではないのかもしれませんが、「ドラマチック・アイロニー」という演劇の手法が用いられています。登場人物が知らないことを聴衆(ここでは読者)が知っていて、それによって、ドキドキハラハラさせることでさらに作品に引き込もうという手法です。死んでしまった少女が付き合っていた相手を知らない兄の苛立ちを含め、この手法によって読者は作品により興味を惹かれることになります。そういう手法について考えてみるのも面白いかもしれませんね。
今、イギリスが大変なことになっています。まみつんさんのいるレスターはバーミンガムに近いですが、大丈夫でしょうか。私の方も、9月に研修旅行を控えているだけにちょっと心配になってきています。
ただ、ニュースを見る限り、イギリス全体がひどいことになっているように感じるかもしれませんが、今のところは荒れている地域は限定されているようです。今回の暴動が、いわゆる人種や宗教に対する偏見が原因ではなく、政府や警察に対する不満が爆発したものとされていますので、その点ではわかりやすく、巻き込まれないように避けて行動すれば危険も少ないようにも思います。ただ、いつ、流れが変わるかわからないので不安ではありますが。そもそも、警察がコントロールできていないことが事を大きくしているらしいので、そちらがしっかりすれば沈静化するのでしょうか。
日本ではこういうことは起こらないので、何だかすごいことのように見えますが、ヨーロッパでは時どき起こりますよね。暴動そのものはそれほど珍しいことではないでしょう。ただ、今回は規模が大きくなりすぎているのでびっくりです。それだけ、政府に対する不満がたまっていたということでしょうか。問題は根深いところにあるようです。
そんなロンドンのニュースを横目に見ながら、今回、紹介するのは下記のロンドン本です。

恐怖の都・ロンドン (ちくま文庫)

恐怖の都・ロンドン (ちくま文庫)

ロンドンの幽霊出没スポットや殺人事件の現場について触れながら、事件のあらましを紹介していくもので、いわゆる「ロンドンの裏の歴史」という感じ。幽霊で知られるロンドン塔や切り裂きジャックなどの有名な殺人鬼に関する章もあるが、多くは、こういう事件に興味のない人は知らないであろう、だけどしおれなりに有名な犯人などが次々に紹介されています。記事は短く簡潔にまとめられているので、ちょっと空いた時間に、さっと読んでみるといいかもしれません。
現代に近づくにつれ、ワイドショーや週刊誌などで慣れてしまっているためか、むしろ個人的に興味を持ったのは、もっと古い事柄で、例えば、次のような記述。

 ジェイムズ一世(在位1603〜25)は、野獣同士の対決を見るのが大好きだった。特にライオンや熊に犬をけしかけ、戦わせて楽しんだ。灰色熊が小さな子供を食い殺した時には、この熊を死刑にすると称して、かつてない野蛮な試合が催された。死刑執行人としてライオンを数頭、同じ柵の中に入れたのだが、巨大な灰色熊を恐れて近付けないでいる。結局犬たちをけしかけ、ようやくこれを始末することができた。(272-73頁)

昔から、イギリスの庶民の気晴らしのひとつに「熊いじめ」というものがあります。文字通り、鎖につないだ熊に対して棒で叩いたり石を投げたりしていじめて遊ぶというもの。もっとひどいのは、熱した鉄板の上に熊を立たせて、熱がって逃げようとするのをみて「ダンスが上手!」と喜ぶようなこともあったといいます。残酷なことではあるが、驚いたのは、以前にイギリスにいたときに、「熊いじめ反対」の署名を求められたこと。つまり、こういう動物の虐待がはるか昔のことではなく、今でもそのようなことが行われているとおうことでしょうか。イギリスといえば、動物愛護の精神が早くから確立した国という印象が一般にあるだけにびっくりするかもしれません。
十数年前、ケンブリッジに滞在していたとき、大学の研究所が襲撃されるという事件がありました。その研究所に勤めていた人から聞いたから間違いはないと思いますが、動物愛護団体のメンバーが動物実験に反対して研究所の機器類を破壊したのです。イギリスでは、動物愛護については、日本では発想できないであろうこともたびたび起こっています。例えば、食肉用の豚の輸送方法についても、輸送する数に合わせた大きさのトラックを使うことを求める運動も行われていました。つまり、人間が食べるために殺してしまうのは仕方ないにしても、ぎゅうぎゅう詰めで運ぶことで豚に苦痛を与えてはいけない、殺すまではできるだけ苦痛を感じさせないように努力すべき、というわけ。日本ではちょっと思いつかないことですが、それだけ動物愛護への意識が高いことがわかります。ところが、その反面、「熊いじめ」のような動物虐待の歴史も同時に持っている。そういう事情があったからこそ動物愛護精神が芽生えたともいえるのかもしれなませんが、この相反する傾向を合わせ持つところこそ、イギリスらしいといえるのかもしれません。
もうひとつ印象的だったのが公開処刑。「処刑」という章は次のような記述で始まっています。

 首都ロンドンでは何百年も、公開処刑が人々の最大の娯楽だった。カーニバルを思わせる凄まじい熱気が、不幸な犠牲者を迎えたものだった。莫大な数の見物人が、見やすい席を確保するために夜を徹して飲み明かす。ロンドンのあらゆる階層の人々が、見物にやって来た。お歴々は、処刑を眺め下ろせる部屋を借りきり、あるいは特別に設けられた観覧席に座席を確保しようとした。(236頁)

見せしめのための公開処刑かと思いきや、そうではなく、人々の娯楽として処刑が見せものになっていたわけである。そしてこれだけでは終わらない。絞首刑の直後は次のようになっていたという。

 その際、群衆がドッと押し寄せて、受刑者の足を引っ張った。より速やかに死なせるためである。続けて女達が、死んだばかりの代物に突撃する。死者の掌で、頬や乳房を撫でるのだ。古くから死体には特別な力があるとみなされ、こうすればイボやニキビ、その他の美容上の欠点が治ると考えられていた。
 処刑の終了時には、首吊りに使われたロープが、フリート・ストリートのパブで、メートル単位で売りに出された。(237頁)

「死」というものが特別な力を持ってると考えられていたことがよくわかるが、次のような描写にはぞっとさせられる。

 首吊りそのものよりも、受刑者にとってはそれに続いて己れの屍に起こることの方が、心配だった。解剖されるのが、恐ろしかったのである。
 処刑の後には、死体の多くは外科医の下に運ばれる。そして入場料を支払った見物人の見守る中、解体されてゆく。解体には、三日を要した。最終日には、晩餐会が開かれた。解剖して残った臓器や肉は、その席で床の間に飾られていた。(251-52頁)

「死」に対する感性というものは時代を超えて共有できるものではなく、それぞれの時代や社会によって作られるものであることがよくわかります。今、こんなことをやったら、それこそ大事件でトップ・ニュースで報じられることでしょう。
本書は、「歴史」の表舞台には出ることがほとんどない人物や事件を扱っているだけに、妙に真実味があるのも事実。時代というものは、「歴史」の教科書に載ってるように、時代は都合よく国王によって区分されるようなものでないことがよくわかってきます。続けて読んでいくと少し気分も滅入ってきますが、ロンドンの裏事情を知る上では面白い読み物だと言えそうです。