【小説】オーウェルの処女作を読んでみた

大学院時代の同級生を中心に、年に数回、恩師のところに集まってイギリス小説を読むことになった。あまり難しいことは考えずに、みんなが読んでいない作品を中心に、これを機に読んでみましょうという感じの気安い「読書会+飲み会」といったもの。まずは、ジョージ・オーウェルの作品をいくつか読むことになった。
オーウェルといえば、先に紹介した『動物農場』や『1984年』は有名だけど、その他の作品については、「象を撃つ」「絞首刑」「紅茶の入れ方」などのエッセイのいくつかを除いては意外に読まれていないのではないだろうか。阿部公彦さんによると、『1984年』という作品は「読んでいないの読んだふりをする作品」の一番手だそうで、「なるほど」と納得する面もある。興味のある人は、Web版『英語青年』の2010年5月号と6月号のエッセイを読んでください(http://www.kenkyusha.co.jp/uploads/03_webeigo/sei-bk.html)。
今回、読んだのはオーウェルの処女作である『ビルマの日々』。読書会では原書で読んだので、特にビルマ人らの固有名詞の読み方がわからず困ってしましまいたが、こういう作品もちゃんと翻訳で読める日本は本当に素晴らしい国だと思います。いくつかの翻訳があるようですが、選集版の方が落ち着いた訳だということなのでこちらを紹介します。

作品では、20世紀初頭の在ビルマのイギリス人社会の様子が具体的に描かれている。役人を中心としたその社会の中では、現地人と差別化を図ることで自分たちの存在意義を確認する在ビルマ英国人たちの精神性が中心的なテーマとなっている。もちろん、俗物的なあり方の諷刺が本作品の目的ではあるが、同時に、結婚相手探しという個人的な問題がうまい具合に絡められている。意外な、と言っては、オーウェル本人とその愛好家たちには叱られそうだが、自伝的ともされるこの作品はかなり面白い小説だった。
話の中心は、限られた植民地ビルマの小さな町にひとりの若い女性が親戚を頼ってイギリスからフランスを経由してやってくる。そして、四十歳を過ぎた独身男性の主人公が、彼女に自分とビルマを理解してもらい、よきパートナーとなってもらえることを期待して結婚できるように努力をする。ところが、典型的な英国女性の見方に縛られた彼女にとってはすべてが裏目に出てしまう。顔に痣を持つこの主人公はネガティブ思考の塊のようなところがあり、それゆえに周りからは割り引いて受け取られているため、あらゆることが裏目に出てしまうことになる。結婚相手探しのテーマは非常に悲劇的な結末に至るのであるが、それがあまりにも悲劇的であることと、登場人物に距離を置きながら渇いた文体で書かれていることとで、むしろ反対に喜劇的な完成度が高まっているように思われる。もっと詳細な心理描写があってもよいところも、紋切り型に描かれていることがよい方向に作用しているといえる好例なのではないか。
私が共感できた意外な個所は、主人公がその女性に想いを寄せている間ではなく、むしろ一時的ではあるが幻滅してしまったときにこそ、彼女に対する性的欲望が高まったという部分。あまり性的に露骨な描写をしないように思われるオーウェルだが、意外に彼が性的な本質を見抜いているのではないかと感心した。些細な部分ではあるが、人間の性的関心をリアルに描いた部分ではないだろうか。
もうひとつのテーマが、宗主国と植民地の人間は個人のレベルでわかり合えるのか、という問題。主人公とインド人医師の友情がそのひとつであるが、そこには本当の意味でのコミュニケーションはない。主人公は現地の英国人コミュニティに受け入れられない事実から目を逸らすために余計に現地人との付き合いを求め、インド人医師の方も、自分の地位安定のために役立つことが主人公と付き合う真の理由であることが垣間見れる。双方が真のつながりを求めている訳ではないものの、表面上は友好的に見えるこの関係にこそ、オーウェルの異文化理解に対する絶望感を見い出すことができるのではないだろうか。
アジアとの文化衝突を描いた小説としては、E. M. フォースターの『インドへの道』が真っ先に思い浮かぶが、事実、オーウェルもこの作品に影響を受けて『ビルマの日々』を書いたらしい。ただ、完成度については大きな差があり、そのことを指摘した際の恩師の言葉「フォースターの晩年の作品とオーウェルの処女作を比較して、その完成度について議論するのはフェアではないのではないか」というのはもっともなことであると思われた。ただ、二人の作家の資質、というよりも方向性を考えた場合、オーウェルがこの作品を晩年に書いたにしても、同じような印象を受けるのではないかとも思う。諷刺というのは、オーウェルのような渇いた文体でなければ効果は半減するのではないだろうか。『動物農場』や『1984年』のような晩年の作品の完成度を見ると、そういう思いが強くなる。ウェットな文体のフォースターとドライな文体のオーウェル、読者の好みによって好き嫌いが分かれそうである。
いずれにしても、オーウェルは、今の時代だからこそ、もっと読まれるべき作家であることは間違いない。年末に『牧師の娘』について、みんなで話をしながら過ごす忘年会が楽しみである。