【音楽】「ハレルヤ、ハレルヤ、…ハレクリシュナ、ハレハレ」

あけましておめでとうございます。年が明けました。2011年です。今日の授業で、ウィリアム・モリスの『ユートピアだより』の話をした際、当然のようにエドワード・べラミーの『顧みれば』にも触れました。モリスのこの作品も、べラミーのものも、二つとも21世紀の世界を「ユートピア」として扱っているのですが、まさに19世紀の人たちが遠くもなく近くもない未来として想定した時代に我々は生きているんだと、『顧みれば』の原題に入っている西暦の数字を見ながら改めて考えました。それにしても、最近、19世紀イギリスの「ユートピア」ものばかり読んでいるようで、どの作品も同じように老人(あるいは年長者)の自分たちの世界についての解説が入っており、なんかいつも説教を拝聴しているような気になってます。
その授業の中で、モリスが盛んに「同胞愛("fellowship")」の素晴らしさを称えてるので、ついでにジョン・レノンが「イマジン」の中で唱えている「同胞愛(こちらは"brotherhood")」と結びつけて、モリスの思想が現代でも生き続けているようなことを話しました。「ウィリアム・モリスジョン・レノン?」という感じもしますが(話を聴いてる学生たちは「なんのこっちゃ??」って感じだったかもしれません)、今回、読み比べてみると、意外や意外、ソロになってからのジョンはモリスの影響を受けているのかと思えるほど、個人的には、思想的に近い感じがしました。こうして意外なものと結びつけることで、何だか新しい読み方ができるようになる、文学って面白いですよね。
モリスといえば「装飾芸術」か「デザイン」、それはそうなんだと思いますが、小説や詩の方面の彼についてももっと評価するべきではないかと改めて再確認したところです。幸い、日本では、晶文社から翻訳や研究書が出ていますし。
前回のブログでジョージ・ハリスンのことを書いたとき、どこかで四方田犬彦氏が追悼文を書いていたことを思い出しました。どこだっけ…と何となく探していたら見つかりました。明治学院大学の言語文化研究所が出している『言語文化』第19号です。西脇順三郎の特集もあって、恩師のひとりの新倉俊一先生が中心になって慶應義塾大学出版会から選集が出たこともあり、この特集になったのでしょうか。この特集目当てて、当時はまだ現役だった指導教授にお願いしてとっておいてもらったものですが、大学紀要のほかにも、こうした割に自由な特集の組める出版物の出せる大学は素晴らしいと思います。バックナンバーのリストを眺めても面白そうなものが並んでいます。
さて、その四方田氏の文章ですが、ジョージを追悼する文章の中で、"The Inner Light"の歌詞がアーサー・ウェイリー訳の『老子道徳経』の一節からの引用であることに触れ、ビートルズ時代からすでにジョージがある種の老境の境地に達しており、若くしてそんな悟りを抱くに至った彼の苦労について書いています。「ジョージ・ハリスン老子?」と、こちらも意外な組み合わせですが(と言っても、東洋思想に傾倒していたジョージであればおかしくはない組み合わせだとも言えますね)、そのことを知ってこの部分を読み直すと、これまでにない感じがしてきます。同時に、先のモリスとジョン・レノンの組み合わせもおかしくないように思えてきますね。
ポップスの分野での詩人としてはボブ・ディランジョン・レノンが取り上げられることが多いのですが、個人的には、前回のブログでも書いたように、詩人、特にキリスト教詩人としてのジョージ・ハリスンというのも、そろそろ正当に評価する時期が来ているような感じがしてなりません。四方田氏の文章がそのきっかけになるとよいのですが、きっと、その後、何もフォローするようなものは出てきてないんでしょうね。CiNiiでもヒットしません。残念です。
ジョージの曲を聴いているとなぜか思い出すのが、日本の「くるり」というグループ。最近はすっかりクラシックの技法にはまった曲を書くようになったことで注目されることも多い岸田繁ですが、個人的には、彼が書く詩にも若くして達した「悟り」が感じられてハッとすることがあります。例えば、一番大好きな曲「Baby I Love You」の中の一節。
「忘れないでいつの時も/東の空 ひこうき雲/追えば 繋がるかな/こころ 見えるかな」
あるいは「ワールズ・エンド・スーパーノヴァ」の中の次のような言葉。
「絶望の果てに希望を見つけたろう/同じ望みならここでかなえよう/僕はここにいる 心は消さない」
また、ベスト版の冒頭を飾る「ワンダーフォーゲル」の出だしの一節。
「僕が何千マイルも歩いたら/手のひらから大事なものがこぼれ落ちた/思いでのうた口ずさむ/つながらない想いを土に返した」
最高ですね。
横浜に出てくるときに処分してしまった大量のCDの中に「くるり」のアルバムも随分とあったけど、ベスト版だけは手元に残っていて、今でも時どき聴いています。

ベストオブくるり/ TOWER OF MUSIC LOVER (初回限定盤)

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日本の詩人で読むことがあるのは田村隆一谷川俊太郎くらいだけど、ミュージシャンの中にも素晴らしい「ことば」の感覚を持った人たちも多いような気がします。
最後に「ロックンロール」から。
「たったひとかけらの勇気があれば/ほんとうのやさしさがあれば/あなたを思う本当の心があれば/僕はすべてを失えるんだ」
そして、その前にある以下の一節は、私の中では限りなくジョージに近づいていったものとして聞こえます。
「裸足のままでゆく 何も見えなくなる/振り返ることなく 天国のドア叩く」
ちなみに今日のブログのタイトルは、ジョージの"My Sweet Lord"のコーラス部分の歌詞です。「ハレルヤ」がいつの間にかヒンドゥー教の神の名である「ハレクシュナ、ハレハレ」に変わっていきます。四方田氏は、この部分を引用して、ジョージの中では宗教がすべて等位になったことを示す一例として説明しています。なるほど…。
次回はイギリスに関するもので書きます。今年もよろしくお願いします。