【社会】スコットランドは独立するのか?

何だか、そう書くのが恥ずかしいほどの久しぶりな書き込みである。半年ぶりくらい…。忙しくなってなかなか時間がないというのもあるが、やっぱり自分の気持ちがこういうことに向いていないのが大きいのだと思う。日々のあわただしさに追われるだけで。ただ、何かについて、考えて、まとめて、書き記すことはやっぱり大事だと思うので、また書き始めてみたい。というのも、数人の人から、「やめちゃったんですか?」とか「また始めてくださいよ」とか声をかけてもらって、こんなものでも読んでくれていた人がいるのか…と思えたことがうれしかったからである。無理をせず、少しずつ何か書いていこうと改めて思った。ありがとうございます。

フェリスの後期に、イギリスの芸術を担当されている先生と一緒に「スコットランド独立!?―“連合”王国イギリスの昔、今、未来」というスコットランドについての講義をやっている(詳しくは、シラバスhttps://passport.ferris.ac.jp/up/faces/up/km/Kms00802A.jspを参照してください)。週2回展開の授業だが、それぞれが週1回を担当し、スコットランドの文学と芸術について緩やかに関連づけながら話をしていくというもので、日本にいると、なかなかひとつの「国」として見ることがないスコットランドについて紹介して紹介していこうという、ある意味で野心的、別な言い方をすると、少し壮大すぎるテーマになっている。芸術担当の先生はエジンバラ大学で博士号を取得した人で、スコットランドについてはいろいろなことをご存じ。一方、私はエジンバラに数日滞在したことがあるだけで、ほとんど日常的なことは知らない…。いわゆる「勉強して学んだこと」が話の中心となっています。ということなので、受講生のみなさん、自ずから話の質に差が出てしまうのは許してください。

でも、今回、担当してみて面白いことが二つある。ひとつは、断片的でしかなかったスコットランドの知識が、講義をする準備の中でひとつの糸でつながっていくのがよくわかる。担当するのは専門を19世紀あたりだけではなく、もっと広い地理的・歴史的な事柄などであり、ハイランド地方のことも含めて、改めてよくわかったことがたくさんある。もうひとつは、いかに自分がイングランド寄りでイギリスを見ていたのかということも再認識させられた。「中心と周縁」については散々授業中にしゃべっているのだが、オースティンやディケンズを中心にいろいろと読んできた自分は、やっぱりその「中心」からしかイギリスという国を考えていないのである。だから、スティーヴンソンやバリなどはもちろん、スコットやマッケンジーでさえ、気づかぬうちにそんな理解をしていることがよくわかった。もうすぐ、ようやく「スコットランド文学」の話に入るが、そういう枠組みがあり得るのかということを含め、スコットランドの文学としての彼らの作品について考えてみたい。

履修生のレスポンスのひとつに「こんなにスコットランドの作家がいるとは思いませんでした…」というものがあったが、これは素直な反応だと思う。私も同じ。こう感じることは本当に大事で、そこから意識して文学作品を読んでいくと、また違った深みが見えてくる。私も含め、イングランドにどっぷり浸かっている人には刺激的な授業になっていけるといいな!、と思う。ということで、先日は「スコットランドから見た『ハリー・ポッター』」として、ファンタジーというジャンルの枠組みがいかに「スコットランド」を意識させるものとなっているのかについて話をした。題材が身近なだけに、「新しい見方ができました」という反応もあったよかった。正直、スコットランド初心者である私には準備をするのが大変すぎるところもあるが、これを機会に、いろいろと勉強していきたい。そもそも知らないことがわかると面白いし、断片的な知識がつながるとスーッといろいろなことがわかってきて気持ちいいからね。

そんなスコットランド初心者の私が大いに参考にしているのが下記の2冊。授業の種本のいくつかを明かすのは嫌だけど、興味のある人はぜひ読んでみてください。

スコットランドの歴史と文化

スコットランドの歴史と文化

スコットランド文学―その流れと本質

スコットランド文学―その流れと本質

日本では、日本カレドニア学会が熱心にスコットランドについて紹介する活動をしてくれている。「カレドニア」とは、古ラテン語グレートブリテン島の北部を意味する地方の名称のことでローマ帝国がつけたもの。こういう成果は十分に活かしていきたいので、スコットランドに興味のある人は、ぜひ、読んでみてください。

肝心のスコットランド独立はどうなるんでしょうね…。みなさんはどう思いますか?