【雑考】中村俊輔、そしてダービー・マッチのこと

日本代表の試合やそこで活躍する海外クラブに所属する選手についての報道を見ていると、日本においてもサッカーが人気のあるスポーツのひとつとして定着してきたことがわかる。しかしながら、残念なのは、国内リーグであるJリーグに対する関心が思われているほど高くないこと。サッカーの日本代表がワールドカップに出場できるようになった背景には20年前のJリーグの発足が大きかった。代表チームを強くするためには国内リーグの充実は重要で、事実、サッカーが強いとされる国の国内リーグのレベルはどこも相当に高い。それだけに、日本における海外クラブ偏重の報道やサッカー・ファンの関心のあり方とJリーグの報道の少なさや集客力の少なさはちょっと心配。代表を強くするためには、その下支えであるJリーグが強くならないといけないはずなのに、ACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)では柏を除く3チームが予選敗退という事実が示すように、日本の国内リーグはアジアの中でも強くはなくなってきている。これは大きな問題では?
今シーズン、出だしのところで横浜F・マリノスが好調で連勝を重ねてきた。先発メンバーのほとんどが30歳を超える「おじさん」チームと自嘲的に言っているが、そんな「おじさん」たちが素晴らしい活躍をしている。特に中村俊輔は好調で、素晴らしいプレーを続けている。でも、今シーズンの彼が一番違っているのは、あからさまに感情表現するようになったことだ。もともとシャイな選手で、勝手も負けてもあまり感情を表に出さなかったのが、今年は、FKを決めれば飛び上がって喜び、負けや引き分けの試合では顔をしかめて本当に悔しそうな表情を見せる。プレーにしても、どちらかといえば自らは動かずに周りの選手をうまく使うイメージがあったが、今は、攻撃だけでなく、身を挺して守りにも参加している。とにかく、足の状態はよくないはずなのに、必死でグランドを走り回っているのだ。「俊輔のようなベテランで実績のある選手がどうしてそこまで…?」とも思うこともあるが、試合後のインタビューなどで口にする覚悟が彼にあるからだろう。年齢的なことを考えると、そう長くマリノスでプレイすることはできないと考えてもおかしくない。それから、シーズン前、俊輔はマリノスと2年契約を新たに結んだが、もしかしたらそこで契約更新をしない可能性もある。そう考えると、確実にマリノスでプレーする機会はあと2年しかない。そのことが俊輔に鬼気迫るプレーをさせているのだろう。とにかく、傍目にも、今年の俊輔はこれまでとは違うことがよくわかり、それは感動的ですらある。
マリノスからイタリアのレッジーナへ移籍し、その後、スコットランドセルティックに移籍し大活躍、スペインのエスパニュールではうまくいかなかったが、マリノスに戻るとき、「自分が戻るべきクラブがあることは本当に幸せ」と語った俊輔。「引退はやっぱりマリノスで…」と思ってしまうが、この春先、スコットランドセルティックが、かつての俊輔の活躍に敬意を表して「引退は自分たちのクラブで。その準備はするつもりである」と申し出てきた。選手としてうれしいことであるのは間違いないし、そこまで言ってくれるなら受けて欲しいとも思わないでもない。もし俊輔がそのオファーを受けるのであれば、それは現実的には来シーズンの終わりになるような気がする。今シーズンの俊輔のプレーは本当に素晴らしい。プレーだけではなく、それを支えている精神的な面における充実ぶりも。そういう俊輔のプレーを生で見ておきたい、今年はそう思いながら、無理をしながらもスタジアムに通っている。もちろん、中町、兵藤、富澤ら、他の各選手の後ろ支えがあるからこそ、俊輔も自由にプレーできているんだけどね。それはテレビではわかりにくい。サッカーの好きな人は見ておかないと本当に損。興味がない人にもきっと伝わる想いがあるはず。
一応、イギリス関係のブログなので、最後にイギリスに関わることを。Jリーグでも「なんとか・ダービー」と地域的に近いクラブの試合を称して呼ぶことがある。神奈川ダービー横浜FM、川崎、湘南)や埼玉ダービー(浦和、大宮)、あるいは、よくわからないが多摩川クラシコFC東京、川崎)というものもある。「ダービー」というのは、「地域の近い、伝統的にライバル関係にあるチーム同士が行う試合」のことなので、日本の場合、伝統も実力も差のあるクラブ同士が単なる地域性だけで組まされている場合も多く、「どうなの?」と思わないでもないが、世界に目を向けると、例えば、イングランド・プレミアのマンチェスター・ダービー(ユナイテッドとシティ)などが有名である。
かつて俊輔が所属していたセルティックグラスゴーという都市のクラブであるが、この街にはグラスゴー・レンジャーズというクラブもあり、この両クラブが常に優勝を争ってきた。グラスゴー・ダービーである。日本では理解できないが、この都市の場合、単に個人的な好みで贔屓の方を選んでいる訳ではない。「ケルトの人(Celtic)」と名付けられたセルティックのサポーターの多くは、19世紀の大飢饉の際にアイルランドから移民してきた人びとを祖先に持ち、カトリック教徒の人たちが多いとされている。だから、エンブレムはシャムロックのデザインでユニフォームは白と緑の縞模様。両方ともアイルランド文化を象徴するもの。一方、「王室森林保護官(Rangers)」という名前を持つレンジャーズのサポーターの多くはプロテスタント(長老派)とされ、イングランド寄りでブリテン支持派が多いとされている(だからユニオン・ジャックを掲げる)。このように両クラブが激しく対立するのには、単なるサッカーへの興味だけではなく、その背景にサポーターたちの民族意識、宗教感情、政治的立場、文化的相違などがあるからだといわれている。だからこそ応援も感情的に激しくなることが多い。

イギリスの社会について何か考えていくと、扱われているテーマそのものだけでなく、地域性、階級、宗教、ジェンダーなどのあらゆる要素が実に複雑にからみ合って、単純に白黒がはっきりわかるものはほとんどない。サッカーのようなスポーツについてさえもそうである。それを理解するのはとても難しいけど、だからこそ学んでいくのが面白い。現在、クラブ経営の問題点が指摘されてレンジャーズはスコットランド・プレミアの第4部リーグに落ちてしまって再出発の努力をしており、しばらくはグラスゴー・ダービーは実施できないが、いずれはまた両クラブが相見えるのが楽しみである。

【雑考】「デザイン『あ』展」で思ったこと

六本木の21_21 Design Sightで行われている「デザイン『あ』展」に行ってきた。イギリスとは直接に関係ないが、この展示をきっかけに「文学」について考えることがいくつかあったので、メモ代わりに記しておきたい。基本的にはテレビを観ないので(ニュース番組とサッカーの試合くらい)、NHKの教育テレビで番組としてやっていることも知らなかった。つまりまったく素のままで、卒業生に誘ってもらったので出かけてみた。頭の中は「『あ』展ってなに?」という疑問でいっぱいだった。

もともと現代アートやデザインは好きだし、活字フェチなので特にタイポグラフィーは大好きなので、「あ」という文字をいろいろとデザインしたものが展示されているのだろうと考えていたのだが、そういう単純でなものではなかった。いい意味で期待を裏切られる。会場に入ると、まず自分自身が「あ」の文字の一部分なったり、音楽に合わせて踊る姿が写真として撮られて保存されたり、「あ」の文字から自由に作画をしたりと、いわゆる体験型アートを楽しめるようになっている。さらに進むと、お寿司のネタが小→大に並べたものや、自身が寿司職人になっておもちゃの寿司を作るカウンター、動画に合わせて風呂敷をたたんでいったり、教室をデザインする人形の家があったり、iPadを使ってじょうろの作画をするとそれが自動的にアップロードされるコーナーなど、とにかく飽きずにイベントに参加することができる。子どもも大人も楽しみながら一生懸命にやっていた。
個人的に特に面白かったのは、木で作られた本が二分割されていて、その背表紙のことばを組み合わせてさまざまなタイトルを作り、それを本棚に並べていくコーナー。例えば、『注文の多い/じいさん』とか、『長靴をはいた/ジュリエット』とか、『はだかの/おじさん』などとという笑えるタイトルが続出していた。でも、この作業を見ていると、みんな、まず最初はきちんとしたタイトルを思い出しながら作り(『注文の多い料理店』とか『はだかの王様』とか)、その後、笑いながら妙なタイトルを組み合わせて作っていく。その作業を見ながら、文学作品のタイトルを使うことで、大学の文学関係の授業の中でもなんか面白い作業ができるのではないかという気がした。

ピタゴラスイッチ」のときもそうだけど、デザイナーの人たちの柔軟さには本当に感心させられてしまう。大げさな予備知識がない人たちが、妙な気負いもなく、「あ〜、なるほど」と思いながら楽しめて、そして実際に参加することができる。この展覧会に参加した人たち、特に子どもたちは、いろいろな意味で現代アートに興味を持つんだろうなあと強く思った。そうであれば、こういうコンセプトで大学の授業のいくつかを行うことはできないものだろうか。もちちろん、テキストをじっくり読んだり、細々とした社会背景を説明したり、とっつきにくい抽象的な批評理論で作品を読み解いたりすることは必要ではある。でも、多くが研究者としての専門知識を必要としていないのであれば、もっと気楽に文学作品に接するような工夫があってよいだろうといつも考えていたので、今回の展示にはいろいろとヒントをもらったような気がする。
授業をしていて感じるのは、多くの学生にとって、何かについて抽象的に考えることはとても難しいのだろうということ。何かを理解して分析していくには批評理論のようなものはどうしても必要だと思っているが、そういう話を始めると途端に教室の雰囲気が睡眠モードに入っていくのがわかってしまう。そこで、できるだけ具体的で身近な例を交えながら説明するようにしている。最近でも『ハリー・ポッター』をはじめとするファンタジーはやっぱり人気があるので、例えば、『オリヴァー・トウィスト』や『ジェイン・エア』なども「ファンタジーの構造をもった小説」として『ハリー・ポッター』と並べながら話をしていくことで、作品のキモの部分が少しは伝わっているような気がしている(錯覚であるという可能性も大いにあるが…)。とにかく、何でもいいので、まずは何かの点で文学作品に興味をもって触れて欲しい、そして、それがきっかけで少しでもいいから深みをのぞいてくれるようなことになれば、よりうれしいと思う。
一緒に行ったひとりから、「なんで『あ』なんでしょうね? 『い』とか『お』でもいいのに…」と尋ねられ、そのときは「なんでだろうね。デザイン的によかったのかね?」なんて答えた。でも、その後、いろいろと考えているうちに、「あ」が日本語の「始まりの文字」だからじゃないか、などと思い始めた。子どもたちが覚える初めての文字が「あ」であり、現代ではひらがなは「あいうえお」順で数える。だから、「始まり」を表現するために、「ことば」の始まりの文字として「あ」が選ばれたというわけ。そして、それは言葉の始まりだけではなく、「アート」に興味をもつ第一歩、もっと広く考えると、聖書のヨハネ福音書の冒頭の言葉「初めに、ことばがあった」ではないが、人と人との関わりを体感して考えていくことのスタートを意味し、それを象徴する文字として「あ」が選ばれたのではないか、そんなふうに考えるようになった。
でも、どうして「あ」なんでしょうね? そう考えてみるとますます面白い。

【小説】スコットランドの歴史を書き替える

昨年度の授業のひとつでスコットランドを扱ったものがあり、その準備のために改めてスコットランドに関連する書籍を読み、スコットランドの作家の文学作品のいくつかを新たに読んだり読み直したりした。その作業の中で改めて感じたのは、スコットランドについての知識不足であった。専門がイギリス文学といっても、これまでにイングランドの小説を中心に読んできているので、例えばウォルター・スコットといっても、ジェイン・オースティンとの関係で考えることはあっても、「スコットランドの詩人・小説家としてのスコット」という視点ではあまり考えたことがなかった。スコットランドの歴史を題材に作品を書いている、といっただけの認識。それだけに、今回の授業を担当したことは、自分の興味と視野を広げるという意味でも大いに役立ったと思う。授業とテストはちょっと難しかったようで、学生には申し訳なかったけど…。
その中で特に面白く読んだのが、スコットの『ウェイヴァリー』という小説。実は、十数年前に在外研究でケンブリッジに滞在していたときに、当時、英文学科で教えていたナイジェル・リースク先生(現グラスゴー大学教授)と話をしているとき、「スコットの作品の中で、オースティンについて考えるにはこの作品かな」と紹介されて初めて読んでみた。そのときには、物語の展開そのものは面白いが、とにかく登場人物も多く、歴史的事件なども次々に出てくるのに閉口した記憶がある。歴史書ではなく、歴史「小説」なので、実在の人物や実際の出来事の合間には架空の人物や出来事も織り交ぜられていて、「いったいどっちなんだ?」と混乱しながら読み進めたことをよく覚えている。そして、読後には、「スコットは面白いけど難しい」という印象が残った。スコットランドの歴史についての無知ゆえのこと。それが今回、スコットランドの歴史の流れについてひと通りの知識を入れて読んでいくと、最初に読んだときには漠然としていた物語世界の輪郭がクッキリとしたような感じがした。
そのスコットの『ウェイヴァリー』の翻訳が出た。出版については、抄訳になるとならないとか、紆余曲折があったらしいが、こうして全訳が出て、日本語で読むことができるというのは、本当に素晴らしい。また、各章ごとに詳細な注釈が付されているだけでなく、関連する写真やイラストも載せられていることも、物語の雰囲気を理解するには大いに役立っている。スコットには他にもたくさんの作品があり、そのうちのいくつかは翻訳もされているが、訳者のスコットやスコットランドに対する強い愛情が感じられるこの作品は、初めてスコットの世界に触れるには最適であるように思う。新書版の大きさで、タータン模様の中にミニチュアの肖像画という装丁もまたとても素敵なので、上・中・下の3冊とも下記に紹介しておきたい。

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈上〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈上〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈中〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈中〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈下〉 (万葉新書)

ウェイヴァリー―あるいは60年前の物語〈下〉 (万葉新書)

「60年前の物語」という副題をもつこの小説は、1745年に起こった「フォーティー・ファイブ」と呼ばれている有名なジャコバイトの反乱事件を背景に、イングランドの青年が、言葉も文化も政治信条も宗教もまったく異なるスコットランドのハイランドに入り込んでさまざまな経験をするという物語である。主人公のもともとのロマンチックな性向に偏った読書習慣が相まって、彼の頭の中はエキゾチックなスコットランドでいっぱいになってしまう。そこへ美しいハイランドの女性と知り合うことで、イングランド軍の将校であった彼は勢いからハイランド軍へ寝返ってしまう。そのままかつて所属していた軍隊と戦う中で、やがて恋に破れ、自らの過ちに気づくことで、最後は人の助けを受けながら元の立場へと戻っていくことになる。主人公の人生と歴史的事件が共鳴し合うことで、物語はリアリティを持っていくことになる。
ただ、今回、読み直して感じたのは、この小説をいわゆるファンタジーの枠組で読み解いてはどうかということである。ファンタジーは「現実」と「もうひとつの世界」(パラレル・ワールド)を行き来することで主人公が成長するのであるが、『ウェイヴァリー』もまた、イングランドという「現実」からハイランド地方という「パラレル・ワールド」に入り込んだ主人公が、そこでさまざまな経験をすることによって成長していく物語として読むのである。言葉も文化も異なるハイランドは、イングランド人の主人公にとっては、似てはいるもののまったく異なる「魔法の国」のようなものではないか。そう読むことで、この物語の文法はよく理解できるように感じた。
そもそも歴史小説は、歴史的事件などを題材に、作者の信条や立場を反映させながら「もうひとつの世界」を作り上げるものであるとするならば、小説を書くことを通して歴史を書き替える作業を行っていることにもなる。スコットによる『ウェイヴァリー』もまた、もうひとつのスコットランドの世界を作り出すものである。ただ、序文などではイングランド側から見た偏見に満ちたスコットランド像ではないものを描くことを目的としたとしているが、ファンタジーとして読むのであれば、これもまたローランド(低地)地方から見たハイランド(高地)地方の人間の偏見の満ちた世界であるようにも思えてくる。ハイランドで生まれ育った作家であれば、ファンタジーのようなものとは違った雰囲気になっていたのではないだろうか。それにしても面白い物語。

【挿絵】イギリスを自転車で旅すれば

考えてみると、「自転車」という乗り物には不思議なスピード感がある。人間にとって基本は歩く速さだが、鉄道が開通すると、私たちが感じる日常的な移動のスピードはぐっと速くなった。さらに、自動車、特急、新幹線、飛行機、ロケット…と、どんどん速い乗り物が発明され、人間は常に「速く移動できること」を求めてきた。速いものほど便利で役に立つと言わんばかりに。ところが、「自転車」というのは、歩くよりも速いのではあるが、自動車よりは遅い。しかも、自動車での移動は基本的には肉体的な疲労を伴わないが、自転車での移動は、歩くよりは軽いものの、自分でペダルを踏んで進むのだから、当然、段々と疲れてくることになる。この中途半端さ。でも、その半端さが自転車の魅力なのかもしれない。
イギリスのポーツマスという軍港の町で生まれ育ち、19世紀末から20世紀初めにかけて『サイクリング』という雑誌にイラストを描き続けた画家に、フランク・パターソンという人がいる。もともと画家を目指すが、すぐには夢を果たせず、広告スタジオに勤務。当時流行していたサイクリングを趣味にしていたところ、先の『サイクリング』誌の挿絵に魅了され、自分の線描画を送付。それが編集者の目に留まったことから、以後60年間に渡って、専属の挿絵画家となったいう。そのパターソンの画集が日本でも出版された。

サイクリング・ユートピアーフランク・パターソン画集

サイクリング・ユートピアーフランク・パターソン画集

サイクリングの雑誌に掲載されたものなので、絵のすべてに自転車が書き込まれている。イングランドの田園風景の中を自転車に乗ってゆったりと走る姿、新婚旅行中の二人乗りのカップル、サイクリング・レースで疾走する自転車…。しかしながら、ここに描かれているのは自転車だけではなく、人々の生活そのものもまた丁寧に描かれてもいる。自転車にまたがって郵便配達夫に手紙を渡す男性、自転車を止めて木陰で寝転がって休む男性、サンドイッチを頬張る男性、"Teas: Cyclist Catered for"と看板を出す田舎のパブ、"Teas: Cyclist Welcomed"と看板を出してお茶を振舞う年配の女性など、この時代のイングランドの田舎の生活ぶりや「もてなし(ホスピタリティ)」ぶりを伺うことができる。また、自転車の普及は、女性にとっても、より早く遠くまで自分で移動することができる手段として、大きな意味を持っていたはずである。
十数年前、イギリスのケンブリッジに滞在していたとき、移動手段としての自転車は重宝した。駐車場を探す必要もないし、考えているより遠くまで楽に行くこともできるし、何よりも運賃やガソリン代がかからない。ケンブリッジは学生の町だけあって、そのような便利な自転車を使っている人が多く、まさに「サイクリング・シティ」であった。でも、自転車は、何よりも、人間にとって恐怖を感じることのない、自然なスピードでありながらも歩くより速く移動することができ、頬に当たる風や町や村の匂いを直に感じることができるという意味で、乗り物の中でも最高のものなのかもしれない。パターソンの絵を見ながら、ケンブリッジ郊外の村の風景を思い出し、そんなことを考えた。100年くらい前の田舎の風景が描かれているものの、イングランドでは、その様子は今でもほとんど変わっていない。そんな素敵な画集。

【フェリス生限定】今年はやります、フレンドリー・グループ

昨年はお休みしましたが、今年は復活させます。興味のある人は参加してください。

〈フレンドリー・グループ2013〉
「小説と映画で学ぶイギリスの社会」
イギリスの小説を読んでみたいけど、どんな作品があるのかよくわからないと思っていませんか?
このフレンドリー・グループでは、古いものや新しいもの、いろいろな時代にイギリスで書かれた小説を1ヶ月に1作品ずつ文庫化された入手しやすい作品を読んでいきます。小説やその映画化された作品を通して、イギリスの社会・文化・歴史などを学びます。
毎月一度、茶話会を開いて、作品についての感想を述べ合い、時には映画作品と比較しながら話をします。茶話会では、イギリス小説専攻の大学院生や先輩の学部生たちがナビゲーターをつとめてくれるので、専門的な知識がなくても大丈夫です。もちろん、学部・学科は問いません。イギリスに興味のある人は参加しませんか。
【2013年度には次のような作品を予定しています】
4月 フィリップ・プルマン、『黄金の羅針盤』(新潮文庫
5月 ジェイン・オースティン、『高慢と偏見』(ちくま文庫
6月 E・M・フォースター、『インドへの道』(ちくま文庫
7月 イアン・マキューアン、『贖罪』(新潮文庫
9月 W・M・サッカレー、『虚栄の市』(岩波文庫)←とても長いです!
10月 エリザベス・テイラー、『エンジェル』(ランダムハウス講談社文庫)
11月 ジョゼフ・コンラッド、『闇の奥』(岩波文庫
12月 チャールズ・ディケンズ、『大いなる遺産』(新潮文庫
1月 トマス・ハーディ、『緑の木陰』(ちくま文庫
2月 ウィリアム・ゴールディング、『蝿の王』(新潮文庫
3月 D・H・ロレンス、『チャタレー夫人の恋人』(ちくま文庫
※読む作品については4月に参加者みんなで相談します。
みなさんの参加をお待ちしています !!

【ご報告など】2012年度の総括と2013年度の展望(?)

2013年度が始まってしまいました。実に11月ぶりの書き込みになってしまいます。昨年度は、何だか授業の準備に追われて時間が過ぎてしまったような1年でした。「忙しいという言う割にはよくサッカーを観に行っているのではないか」と突っ込まれていますが。今シーズンもF・マリノスが強いので困っています。
秋口から書いていなかったので、簡単に昨年度のご報告を。まず、2012年度の卒論ですが、オースティン、ブロンテ、ディケンズなどの「イギリス小説」論4名、『不思議の国のアリス』論(英文)1名、「ハリー・ポッター」論1名、「探偵小説」論1名、「ディズニー映画の女性表象」論1名、「ロイヤル・ウエディングの表象」について3名、「イギリスにおける紅茶の表象」1名、「英米の女性政治家の表象」1名でした。毎年のことながら、提出期限締め切り間際にばたばたした人もいましたが、半分近くが小説や文学関係についての割とオーソドックスなテーマで取り組んでくれた学年でした。さて、今年度の4年生はどんな卒論を書いてくれるのか、楽しみにしています。
私個人については、研究活動は低調な1年になってしまいました。結局、ジョン・ヘンリー・ニューマンについての紀要論文1本、オースティンの『ノーサンガー・アベイ』とスコットの『ウェイヴァリー』についての研究発表1つ。ここまで少なかったのは初めてかもしれません。「忙しい、忙しい」を口実に、目の前の仕事から逃げてしまったという反省の1年になりました。ブログの書き込みがなかったのも、結局、本を読んでいても、それを自分の中できちんと整理し切れていなかったからだと思います。ひたすらに反省。
そういうこともあって、2013年度は、まずは口頭発表の機会をできるだけ活用して、自分にノルマを課すことによって勉強していこうと考えました。そこで各学会の研究発表を申し込もうと考えていたところ、まるで救いの手を差し伸べてもらえたかのように、次々とシンポジウムのお話をいただきました。まず、5月末に日本英文学会では「〈啓蒙〉の変遷―18世紀から19世紀の宗教・道徳・文学を問い直す」で『高慢と偏見』について、6月末の日本オースティン協会では『高慢と偏見』について、10月末の日本ハーディ協会では『ジュード』について、それぞれ宗教とのからみで話をすることになりました。このような機会を与えてくださった方々には感謝のひと言しかありません。あとは、声をかけてくださった人たちの期待を裏切らないようにしっかりと準備をしていくだけです。年度末には、これらの成果を活字できるように、そちらも頑張ってみたいと思います。エイプリル・フールのジョークにならないようにしないといけません。
以上、2012年度の総括と2013年度の展望(?)でした。今年度もよろしくお願いします。

【社会】スコットランドは独立するのか?

何だか、そう書くのが恥ずかしいほどの久しぶりな書き込みである。半年ぶりくらい…。忙しくなってなかなか時間がないというのもあるが、やっぱり自分の気持ちがこういうことに向いていないのが大きいのだと思う。日々のあわただしさに追われるだけで。ただ、何かについて、考えて、まとめて、書き記すことはやっぱり大事だと思うので、また書き始めてみたい。というのも、数人の人から、「やめちゃったんですか?」とか「また始めてくださいよ」とか声をかけてもらって、こんなものでも読んでくれていた人がいるのか…と思えたことがうれしかったからである。無理をせず、少しずつ何か書いていこうと改めて思った。ありがとうございます。

フェリスの後期に、イギリスの芸術を担当されている先生と一緒に「スコットランド独立!?―“連合”王国イギリスの昔、今、未来」というスコットランドについての講義をやっている(詳しくは、シラバスhttps://passport.ferris.ac.jp/up/faces/up/km/Kms00802A.jspを参照してください)。週2回展開の授業だが、それぞれが週1回を担当し、スコットランドの文学と芸術について緩やかに関連づけながら話をしていくというもので、日本にいると、なかなかひとつの「国」として見ることがないスコットランドについて紹介して紹介していこうという、ある意味で野心的、別な言い方をすると、少し壮大すぎるテーマになっている。芸術担当の先生はエジンバラ大学で博士号を取得した人で、スコットランドについてはいろいろなことをご存じ。一方、私はエジンバラに数日滞在したことがあるだけで、ほとんど日常的なことは知らない…。いわゆる「勉強して学んだこと」が話の中心となっています。ということなので、受講生のみなさん、自ずから話の質に差が出てしまうのは許してください。

でも、今回、担当してみて面白いことが二つある。ひとつは、断片的でしかなかったスコットランドの知識が、講義をする準備の中でひとつの糸でつながっていくのがよくわかる。担当するのは専門を19世紀あたりだけではなく、もっと広い地理的・歴史的な事柄などであり、ハイランド地方のことも含めて、改めてよくわかったことがたくさんある。もうひとつは、いかに自分がイングランド寄りでイギリスを見ていたのかということも再認識させられた。「中心と周縁」については散々授業中にしゃべっているのだが、オースティンやディケンズを中心にいろいろと読んできた自分は、やっぱりその「中心」からしかイギリスという国を考えていないのである。だから、スティーヴンソンやバリなどはもちろん、スコットやマッケンジーでさえ、気づかぬうちにそんな理解をしていることがよくわかった。もうすぐ、ようやく「スコットランド文学」の話に入るが、そういう枠組みがあり得るのかということを含め、スコットランドの文学としての彼らの作品について考えてみたい。

履修生のレスポンスのひとつに「こんなにスコットランドの作家がいるとは思いませんでした…」というものがあったが、これは素直な反応だと思う。私も同じ。こう感じることは本当に大事で、そこから意識して文学作品を読んでいくと、また違った深みが見えてくる。私も含め、イングランドにどっぷり浸かっている人には刺激的な授業になっていけるといいな!、と思う。ということで、先日は「スコットランドから見た『ハリー・ポッター』」として、ファンタジーというジャンルの枠組みがいかに「スコットランド」を意識させるものとなっているのかについて話をした。題材が身近なだけに、「新しい見方ができました」という反応もあったよかった。正直、スコットランド初心者である私には準備をするのが大変すぎるところもあるが、これを機会に、いろいろと勉強していきたい。そもそも知らないことがわかると面白いし、断片的な知識がつながるとスーッといろいろなことがわかってきて気持ちいいからね。

そんなスコットランド初心者の私が大いに参考にしているのが下記の2冊。授業の種本のいくつかを明かすのは嫌だけど、興味のある人はぜひ読んでみてください。

スコットランドの歴史と文化

スコットランドの歴史と文化

スコットランド文学―その流れと本質

スコットランド文学―その流れと本質

日本では、日本カレドニア学会が熱心にスコットランドについて紹介する活動をしてくれている。「カレドニア」とは、古ラテン語グレートブリテン島の北部を意味する地方の名称のことでローマ帝国がつけたもの。こういう成果は十分に活かしていきたいので、スコットランドに興味のある人は、ぜひ、読んでみてください。

肝心のスコットランド独立はどうなるんでしょうね…。みなさんはどう思いますか?